『風、薫る』“文”内田慈はなぜ最後まで母を名乗らなかった? 言葉にしない物語の美しさ
場面が神社から変わると、文は亡くなっていた。ナレ死でもない。誰も文が亡くなったという話はしない。ただ、美津(水野美紀)の前で直美は泣く。
その後、卯三郎(坂東彌十郎)が直美に、文の残したお金を預かったと手渡すだけ。このお金は、文が部屋の一角をカーテンで仕切り、化粧部屋のようにしてあった場所に置いてあった白いキャニスターのなかに入っていたものだ。あるとき、一瞬意味深に映ったことがあった。白い小さな陶器なので誰かの骨壺? と思った視聴者もいたようだ。文はコツコツとお金を貯めていたのだった。やりたいことはないと言っていたが、いつか娘に会えたらこれまでのおわびに渡したいという願いをちゃんと持っていたのか。あるいは、渡す当てはないが、贖罪としてお金を使わないことを自分に強いてきたのか。ここにも想像が膨らむ。
文の部屋のカーテンで仕切った空間が、まるで、表立って言葉にしない文の心の内側を表すようだった。
直美が看病に来ても、そこはいつもカーテンが閉まっていた。文がひとりになったときだけカーテンが開いて、文はそのなかで身支度をしていた。もちろん、身支度の場所だから、極めてプライベートな空間なのだろうけれど、この時代の日本ではまだそういう空間は贅沢だったことだろう。西洋人も来る卯三郎の店に勤めていた文だからこその暮らしぶり。一時は外国に行こうとも思っていたそうだから、進歩的な考えがあったのかもしれない。
遊女にならないと生きていけなかった境遇の詳細や、もしそうならなかったら何をしたかったのか。文の詳細は語られることはなかったが、卯三郎の言うように彼女なりに「目一杯生きた」のだと思う。
内田慈が公式コメントでこんなことを語っている。「文が元・女郎であり直美のお母さんであるということ、具合が悪くなった文を看護するなかで直美に新たな決意や気持ちが生まれるということを最初に聞いていたので『これはすごい大役をいただいたな』と思いました。このドラマは必死で生きる人たちがバトンを渡して進む物語。文としてきちんとバトンを渡す役割を果たしたいという思いで演じていました」(※)。
7月24日、『あさイチ』で上坂樹里がプレミアムトークに出演したおり、半年かけて9キロ痩せて撮影に臨んだことや、台本上では「きっといいご縁があるでしょう」とあったセリフを現場で話し合って「あなたならきっと大丈夫」に変更したり、お賽銭を直美の分まで出す仕草を内田が提案したりしたことが語られていた。興味深いことばかりだ。
脚本上では娘に「いいご縁」を期待していた文。直美がエリート医師の藤田(坂口涼太郎)にモテていることをよいことと思う場面もあった。それもあって「いい縁」があることを願うことは、文がいい結婚こそが女性の幸せと考えているように感じられる。自分がそれは叶わなかったこともあるし、文の時代の人はたいていそうなのだろう。付き添いの寛太のことも気にしていた。ただ、縁談の話になると、ちょっと生々しくも感じてしまう。だから「大丈夫」くらいの漠然としたほうが適しているようにも思う。
序盤の文は、単なる店員にしては、アップが多く使用されているなあと感じはしたが、まさか直美の母という役割だとは想像できなかった。嘘のうまい直美の母だけあって(卯三郎に詐欺を働いたこともあった設定)、演技といううまい嘘をつき続けた内田慈に拍手を贈りたい。
参照
※ https://realsound.jp/movie/2026/07/post-2469644.html
■放送情報
2026年度前期 NHK連続テレビ小説『風、薫る』
NHK総合にて、毎週月曜から金曜8:00~8:15放送/毎週月曜~金曜12:45~13:00再放送
NHK BSプレミアムにて、毎週月曜から金曜7:30~7:45放送/毎週土曜8:15~9:30再放送
NHK BS4Kにて、毎週月曜から金曜7:30~7:45放送/毎週土曜10:15~11:30再放送
出演:見上愛、上坂樹里
脚本:吉澤智子
原案:田中ひかる『明治のナイチンゲール 大関和物語』
制作統括:松園武大
プロデューサー:川口俊介
演出:佐々木善春、橋本万葉ほか
写真提供=NHK