『攻殻機動隊 THE GHOST IN THE SHELL』が獲得した前衛性 士郎正宗の世界観へと再接続

 1989年に士郎正宗が発表した、きわめて特異なSF漫画『攻殻機動隊』。近未来の空に張り巡らされた電脳網、義体化された身体、そして巧妙化し凶悪化する犯罪や陰謀をめぐる特殊部隊の捜査と戦いを描いた、この作品は、1995年の押井守監督による映画版『GHOST IN THE SHELL』、そして2002年からの神山健治監督によるTVアニメシリーズ『STAND ALONE COMPLEX(S.A.C.)』、映画版第2作『イノセンス』(2004年)、あるいはハリウッドの実写映画版などの映像化作品によって、世界的なサイバーパンクの一つの象徴として認められるようになった。

 そんな初映像化のインパクトから30年ほどの年月が経って、「サイエンスSARU」制作による新たなTVシリーズ『攻殻機動隊 THE GHOST IN THE SHELL』がリリースされた。驚かされるのは、これまでわれわれが親しんできた、「Production I.G」の『攻殻機動隊』シリーズとは、全く異なる雰囲気であることだ。ここでは、そんな本シリーズ『攻殻機動隊 THE GHOST IN THE SHELL』第2話が放送・配信されたタイミングで、その特徴について論じていきたい。

 リアルで重厚、スタイリッシュな映像美。それこそが“攻殻らしさ”のパブリックイメージであったはずだ。しかし、今回のTVアニメシリーズは、これまでのI.Gの映像化の流れとは異なり、いまあえて士郎正宗の原作漫画の内容やイメージへと先祖返りするというアプローチを選択した。それは、押井守監督などの作り手が独自の作家性で解釈し、洗練させていった哲学や社会システムの枠組みから離脱し、原作が本来持っていた、カオティックと言えるほどの混沌とした世界観へと再接続するといった試みである。そして、その結果として表現された映像は、かつてのシリーズを知る観客ほど、脳がバグを起こすような異物感をともなうものとなった。

 これまでの映像作品群が醸成してきたのは、素子の金属製の義体が象徴するように、冷たく無機質なリアリズムだった。とりわけ押井版における、自己や意識の在り方を問う哲学的で重苦しい世界観……そして、それを一部踏襲しながら自分たちの色を加えてきた、神山健治版、黄瀬和哉版。その系譜を知る観客ほど、今回のポップなアプローチは、原作に先祖返りしたとはいえ、むしろ新鮮なものに映るだろう。

 まだ公安9課が完成された組織となる前から、物語は動き始める。そこで中心となるのは、まだ若く、感情的な草薙素子の姿である。原作のイメージ通り表情豊かで、俗っぽさすら漂わせている。原作通りバイセクシャルで、自身の義体や電脳の能力を駆使して複数の同性のセックスフレンドと性的な遊びを楽しんでいるなど、どこか危うさをおぼえる存在だ。

 そんな素子が、90年代のオタク漫画的なかわいらしさを懐かしく思い出せるようなビジュアルで表現されていることも興味深い。これは本来であれば、例えば『ブレードランナー』(1982年)や、近年のヒットゲーム『サイバーパンク2077』に代表されるような、クールなサイバーパンクの世界観とは相反するような要素である。押井監督が映像化の際に思い切ったデザインの刷新を試みた理由も、そこにあるだろう。

 電脳犯罪、国家の暗躍、テロや殺人、弱者の搾取や虐待といったシリアスな要素を描きながらも、本シリーズのキャラクターたちは必ずしも重苦しい表情をしていない。暴力的な世界と可愛らしい表象のギャップは、やや病的だと感じさせる部分もあるが、士郎正宗の原作が本来持っていた世界として、十分理解できるものとして提示されているのである。

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