『劇場版モノノ怪 第三章 蛇神』は“集団心理”の恐ろしさを問う 集大成にして得た“普遍性”
正しいと思ったはずの選択が、積み重なるほど未来を歪ませていくとしたら。
『劇場版モノノ怪 第三章 蛇神』を観て、真っ先に浮かんだのはそんな問いだった。
『劇場版モノノ怪』三部作の舞台は、絢爛豪華な大奥。主人公の薬売りが、人の情念から生まれた怪異「モノノ怪」の正体を突き止め、斬り祓っていく物語だ。
しかし、この三部作が描いてきたものは、怪異そのものの恐ろしさだけではない。中村健治総監督がこの三部作で一貫して描き続けてきたのは、「合成の誤謬(ごびゅう)」というテーマである。合成の誤謬とは、個々の行動としては正しく見えるものが、全体としては望ましくない結果を招いてしまうことを指す言葉だ。第二章『火鼠』公開時の対談で、中村総監督は「一つひとつの行動は間違っていなくても、重なり合ったときにとんでもなく悪い結果を引き起こすことがあるということを、章ごとに角度を変えて描きたいと思っているんです」と語っている(※)。
完結編となる『蛇神』は、そのテーマを最も鋭く突きつける一作だ。
第一章では、大奥に足を踏み入れた新人女中たちを通して、集団の価値観に染まることへの違和感が描かれた。第二章では、大奥エリート集団である御中臈たちを軸に、世継ぎをめぐる争いが展開。個人の感情だけにとどまらない家同士の思惑や、背負わされた立場の重さも見えていた。
そして第三章で、物語の視点は大きく変わる。舞台は同じ大奥でありながら、カメラはついにその頂点へと向かう。新人女中の目線から始まり、寵愛と世継ぎをめぐる争いを経て、最上位の人々へ。三部作を通して積み重ねられてきたものが、いよいよ大奥という場所そのものの秘密へとつながっていく。
とはいえ、第三章からこの世界に触れる人にも入口はある。細かな人物関係を知らなくても、ここで描かれているのは、閉じた場所の中で人々が何を守り、何を選び、何を見ないことにしてきたのかという、普遍的な問いだからだ。
「蛇神」というタイトルから禍々しい怪異を想像していると、冒頭は少し意外に映るかもしれない。物語は、蛇を祀る装飾に囲まれた、穏やかな祝いの空気から始まる。天子(幕府の象徴かつ世を統べる存在)の正室である御台所・幸子が待望の男児を授かり、大奥は喜びに包まれていた。しかし、その喜びは長く続かない。薬売りが再び大奥へ足を踏み入れることで、物語は「子」を発端とした重大な秘密へと近づいていく。今回、特に重要になるのが、御台所・幸子の抱えてきたものと、女中たちが信仰してきた“御水様”の正体だ。
第一章から、大奥の規律や信仰を象徴するものとして描かれてきた御水様。第三章では、御水様の司祭・溝呂木北斗の存在を通して、その信仰が大奥の成り立ちと結びついていく。由来は150年の時を遡り、大奥誕生の真相にまで連なっていく展開は、シリーズの集大成にふさわしい見応えがある。
とりわけ印象的なのは、大奥に勤める者たちの“本音”があふれ出す場面だ。そこでは、大奥が世継ぎを産むための場所である以前に、役割を与えられた人々の思いが積み重なってできた場所であることが突きつけられる。それぞれの立場から幸福を追い求め、家を守ろうとし、役目を果たそうとする。その一つひとつは、個人にとっての正解であり、ときには大奥のためを思っての行動でもある。けれど、そうした選択が重なった先に、誰かの痛みや犠牲の上に成り立つ秩序が作られていく。