『風、薫る』生田絵梨花が体現する“医師の娘”の葛藤 多江を追い詰める縁談と時代の壁
シマケン(佐野晶哉)が本当にやりたいことを打ち明けたNHK連続テレビ小説『風、薫る』第29話。一方で、縁談が進む多江(生田絵梨花)は、養成所を辞めると言い出し、物語は不穏な方向へ動き始めた。
環(英茉)へのお土産を探していたりん(見上愛)は、偶然シマケンと出会う。彼が広げていたのは『東京明光新報』。シマケンは、そこで活字拾いの仕事をしているのだという。字を拾って並べるから、活字拾い。りんは「すごいですね」と感心し、シマケンにぴったりの仕事だと言う。たしかに、細かな知識を次々に語り、言葉への関心も強いシマケンにはよく合っているように見える。
だが、シマケンにとって活字拾いは、本当にやりたい仕事ではなかった。彼が目指しているのは小説家だ。新聞の仕事で文字に関わってはいるものの、自分の物語を書いているわけではない。だからこそ、シマケンはまだ自分を「何者でもない」と感じているのだろう。好きなものの近くにはいる。けれど、夢そのものにはまだ届いていない。その距離が、彼の中にもどかしさとして残っていた。
そんなシマケンに、りんは「1年後はわかんない」と声をかけ、小説を読んでみたいと伝える。軽い励ましのようにも聞こえるが、りんにとっても他人事ではない。彼女自身も、看護婦になりたいという夢を抱き始めたばかりだからだ。まだ形になっていない未来でも、誰かが信じてくれるだけで救われることがある。シマケンの表情が少しやわらいだのは、その言葉に夢を受け止めてもらえた実感があったからなのだろう。
学校が休みだった直美(上坂樹里)は、久しぶりに長屋へ戻る。大家の嘉平(春海四方)たちと話す直美は、養成所にいる時よりも少し肩の力が抜けて見えた。長屋は決して恵まれた場所ではないが、直美にとっては、昔からの自分を知る人がいる場所でもある。気を張り続けている養成所とは違い、ふっと息をつける時間だったのだろう。
一方で、追い詰められていたのが多江(生田絵梨花)だ。実家では縁談が進み、仙太郎(吉岡睦雄)から6月19日の日曜日に見合いが決まったことを告げられる。さらに多江が、先ほど診た患者は脚気ではないかと指摘しても、仙太郎は取り合おうとしない。医者の家に生まれ、知識も観察眼もある多江だが、その言葉は一人の医療者を目指す者としてではなく、“医者の娘”の発言として軽く扱われてしまう。
多江はこの回で、仙太郎に「医者になりたい」と伝えていたことも明かされる。だが、返ってきたのは「お前には無理だ」という言葉だった。医者の夫を隣で支えることが女の役目だという考え方は、今の感覚では古く見える。けれど当時は、それが当たり前のように語られていたのだろう。多江が苦しんでいるのは、仙太郎の言葉だけではない。女性が自分の夢を持つこと自体が難しかった時代の空気が、彼女の前に立ちはだかっている。
仙太郎は、医者を目指していた多江にとって看護婦の学校は簡単なものだと考えている。だが、多江は「尊敬すべき人たちです」と返す。養成所でりんたちと学ぶ中で、多江の中では看護婦という仕事への見方が変わり始めているのだろう。医者の下にある仕事ではなく、患者のそばで命を支える専門的な仕事として、看護を受け止めるようになっている。
その後も、多江は授業に集中できないままだった。そんな様子を見たりんは、少しでも空気を変えようと、懇親を兼ねて皆で出かけようと声をかける。ところが多江は、「この養成所を辞めます」と突然告げる。続けて何かを言おうとしたその時、彼女はその場に倒れてしまった。
倒れた多江を前に、看病にあたることになったのはバーンズ(エマ・ハワード)ではなく、りんだった。多江の苦しさを目の当たりにした時、りんは何を見て、どう手を差し伸べるのか。看護婦を目指すりんが、最初に向き合うことになる相手は、すぐそばにいる同期なのかもしれない。
■放送情報
2026年度前期 NHK連続テレビ小説『風、薫る』
NHK総合にて、毎週月曜から金曜8:00~8:15放送/毎週月曜~金曜12:45~13:00再放送
NHK BSプレミアムにて、毎週月曜から金曜7:30~7:45放送/毎週土曜8:15~9:30再放送
NHK BS4Kにて、毎週月曜から金曜7:30~7:45放送/毎週土曜10:15~11:30再放送
出演:見上愛、上坂樹里
脚本:吉澤智子
原案:田中ひかる『明治のナイチンゲール 大関和物語』
制作統括:松園武大
プロデューサー:川口俊介
演出:佐々木善春、橋本万葉ほか
写真提供=NHK