『映画 えんとつ町のプペル』続編で光る小芝風花の存在感 ナギの感情が宿った歌声と芝居
劇中でナギが歌う「366日 ~ナギの歌.ver~」も忘れがたい。HYの仲宗根泉が2008年に書いた、会えない相手への切ない想いを綴った名曲だが、「別れ」を描く本作にこれほどぴったりくるアニメ作品もなかなかないだろう。小芝はこの歌唱シーンのために2ヶ月間ボイストレーニングに通ったという(※)。その準備が実を結んだナギの歌声には、技術的な上手さ以上に、ナギのガスへの感情がそのまま乗っていた。本作最大の見どころと言っても過言ではないこの曲を、劇場を出たあとに、思わず聴き直した人も少なくないのではないだろうか。
このように、あらゆる面で力の込められた本作の中で、筆者がとりわけ心を掴まれたのは「待つ」という行為の再定義である。
「千年砦に来て、待つってことの意味がわかった。待つことは何もしないっていうことじゃない。相手を信じ抜くことだ」
ルビッチのこの言葉には、思わずハッとさせられた。物語において、「待つこと」はしばしば受け身の姿勢として描かれてきたからだ。前に進めない人の停滞、過去へのしがみつき、あるいは未練という一語で片づけられるもの。本作はそのどれとも違う。誰かの不在を抱えたまま時間を生きること——その営みそのものを揺るぎない強さをもって肯定してみせる。
そしてこの視線は、ルビッチ自身の描かれ方にもにじんでいる。彼はナギを待ち続けるガスに対して、「引きずっていてもしょうがない」と辛辣な言葉を投げかけてしまう。一見正論に聞こえるその言葉は、プペルを失った痛みをまだ手放せずにいる彼自身が自分に“言い聞かせている”ことでもある。前に進まなければならない、乗り越えなければならない——そうした正しさにかえって縛られることの苦しさ。本作はそれを、ルビッチという主人公を通じて丁寧にすくい取っていた。
思い返せば、前作にもこの視線の萌芽はあったように思う。夢を信じたい気持ちを押し込めて生きていたアントニオにも、前作は確かに光を当てていたし、まっすぐな理想の通りには生きられない人間の痛みを置き去りにしなかった。「正しさ」の側にいるように見える人間の中にだって割り切れなさはある。『映画 えんとつ町のプペル』は一貫して、その割り切れなさのそばに留まろうとする物語なのだと思う。
壊れていないのに、11時59分で止まったままの時計台。やがてその針が再び動き出すとき何が起こるのかは、ぜひスクリーンで確かめてほしい。
「ずっと頭にあるんです。会えなくなった、友達のことが」
ルビッチのこの言葉に、不意に涙腺を持っていかれたのはきっと筆者だけではないだろう。忘れられないなら、忘れなくていい。会いたいなら、会いたいまま生きていい。多くの出会いを重ね、二度とは会えない別れも知ってしまった大人にこそ、本作は深く届くのではないだろうか。
参考
※ https://diamond.jp/articles/-/385652
■公開情報
『映画 えんとつ町のプペル ~約束の時計台~』
公開中
出演:永瀬ゆずな、窪田正孝、MEGUMI、小芝風花、吉原光夫、土屋アンナ、山寺宏一、藤森慎吾、伊藤沙莉、東野幸治、錦鯉、森久保祥太郎
製作総指揮・脚本:西野亮廣
監督:廣田裕介
アニメーション制作:STUDIO4°C
原案:『チックタック 約束の時計台』にしのあきひろ著(幻冬舎)
主題歌:「えんとつ町のプペル」ロザリーナ(ソニー・ミュージックレーベルズ)
配給:東宝・CHIMNEY TOWN
©西野亮廣/「映画 えんとつ町のプペル ~約束の時計台~」製作委員会
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