ディズニー屈指の“切実なラブストーリー” 『マイ・エレメント』が描いた多文化共生と愛の形
『シンデレラ』『眠れる森の美女』――ディズニーはこれまでも、ロマンティックな愛の物語を描き続けてきた。ジェイン・オースティン作『高慢と偏見』のように、時には身分差に代表される「ふたりを隔てる壁」を描くことも作品を名作たらしめるスパイスとなるが、『マイ・エレメント』は「触れられない」という設定をここまで切実なラブストーリーに昇華できるのかと驚かされる作品だ。
舞台となるのは、元素が人間のように生活をし、それぞれの住処で暮らすエレメントシティ。水のエレメントであるウェイドと、火のエレメントであるエンバー。出会った瞬間から、ふたりの関係は物理法則によって阻まれている。触れれば消えてしまうかもしれない――その前提があるからこそ、彼らの視線や距離、わずかな温度差までもがロマンスとして立ち上がる。
子どもが観ても分かりやすい、水と火の関係。互いに触れられないという制約が、ディズニーがこれまで大切にしてきたピュアな感情から立ち上がるラブストーリーに一役買っているのは言うまでもない。
日本語版エンドソングである、Superflyが歌う「やさしい気持ちで」の歌詞に、ぜひ注目したい。
「愛する人を抱きしめたい 私から」
抱きしめる、“私から”。受け身ではなく、自らの意志で相手に触れようとする気持ちを表す歌詞は、ウェイドとエンバーが互いに手を合わせようとして震える指先を想像させる。たとえ恐れを感じても自分から腕を伸ばしたいと願う能動性こそが、劇中でのエンバーの成長と重なる。
ウェイドは涙もろく、感情を隠さない。対してエンバーは、家族の期待を背負い、怒りを炎のように燃やしながらも本音を押し殺して生きている。家業を継ぐこと、父の夢を守ることを当然の未来として受け入れてきた彼女が、「私はどうしたいのか」と問い直す過程は、恋愛の物語であると同時に自己決定の物語でもある。
本作のもうひとつの軸は、エンバーと両親の家族愛だ。故郷を離れ、異国の地で店を営む父バーニーと母シンダー。移民としての苦労は、言葉の壁や偏見といった具体的な描写にとどまらず、世代間の価値観のずれとしても表れる。両親にとって店は、過去と現在をつなぐ“命綱”だ。一方でエンバーにとっては、愛と同時に重圧の象徴でもある。
それでも本作は、親を単なる抑圧者として描かない。むしろ強調されるのは、訛り混じりの言葉や不器用な仕草ににじむ深い愛情だ。自分たちが果たせなかった夢を娘に託すこと。それはエゴであると同時に、血のつながった親子として、未来を生きる娘への精いっぱいの祈りでもある。
監督であるピーター・ソーンは、自身の移民二世としての経験や母への思いを投影して創り上げた作品だと幾度となく語っている。だからこそ、物語は寓話的な世界観でありながら、しっかりと”痛み”までもが忠実に描かれている。
異なるエレメントが共存する都市は多文化社会のメタファーであり、同時にそこに住まう家族は最小単位のコミューンでもある。違いは排除の理由にもなり得るが、理解の入口にもなり得る。その両義性を鮮やかな色彩とユーモアの中で描き出す手腕は、いかにもピクサー的だ。
触れられない恋。継がなければならない家業。越えられないと思い込んでいた境界線。水と火という、触れれば蒸発してしまうかもしれない者たちが交わる瞬間、そこに生まれるのは消滅ではなく、形を変えた共存かもしれない。ふたりが互いを「抱きしめたい」と願う気持ちは、この世界を生きる私たちが持つべき寛容と愛を教えてくれるのではないだろうか。
『マイ・エレメント』が伝えようとしていること。それは、誰かを愛することは誰かから受け取った愛を否定することではない。むしろ、その延長線上にこそ新しい選択がある。触れられないからこそ、触れたいと願う。離れられないと思っていたからこそ、自分の足で歩き出す。その一歩の情熱と涙を、やさしく肯定する物語なのだ。
■放送情報
『マイ・エレメント』
TBS系にて、3月12日(木)21:00~22:57放送
日本版声優:川口春奈(エンバー・ルーメン)、玉森裕太(ウェイド・リップル)
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