安易な考察や要約を拒む物語 『椰子の高さ』がもたらす“心地良い”映画体験
94、93、92、91、90、89、88、87、86、85、84、83、82、81、80……。
女性が囁くように数を逆に数えるところから、この映画ははじまる。劇場内の明かりが消え、映写機が放つ光でスクリーンが照らされると、私たち観客が身を置く暗闇の中でこのカウントダウンがはじまる。100、99、98……と、ひとつずつ数を引いていくのは、うまく眠れない夜の入眠の手立てとしてよく知られている。私たちがこれから目の当たりにするのは、眠っているときに見る夢なのだろうか。
やがてカウントダウンは止まる。隣には彼女の恋人が横になっていて、この彼との親密な会話がはじまるのだ。観客の目に映るのは、ある種の夢なのか、現実なのか分からない。けれども彼女にとっては、どうやらこれが現実らしい。こんなふうにして、映画『椰子の高さ』は幕を開ける。中国出身のドゥ・ジエ監督による本作は、全編日本語で、オール日本人キャストとともに作り上げた長編劇場デビュー作だ。
『唐人街探偵』シリーズ(2015年~2021年)の撮影監督として知られるドゥ・ジエは、2020年より日本に移住し、本作では監督のみならず、脚本、撮影、美術、編集までも自ら手がけている。「新移民」としての視点を介して、いつも我々とともにある“死生観”を照射した。その語り口や劇中で交わされるセリフの数々、一つひとつのショットに収められた風景はどれも新鮮で、同時に懐かしい。
監督は公式のコメントで「この映画を観る体験は、重要なピースが欠けたパズルを自ら完成させていくようなものです。観る方一人ひとりが、その欠けたピースを想像し、探し、埋めながら、あなた自身の世界(=映画)を組み立てていただけたら」と述べている。実際に鑑賞すれば実感できるのだが、この映画/世界の輪郭や手触りは、一人ひとりの観客ごとに異なるものだと思う。
本作が紡ぐ物語は、恋人たちの間に生じる“喪失感”が起点になっている。主人公・菅元(大場みなみ)は恋人の青木(渋谷盛太)と結婚の約束をし、ハネムーンの予定まで立てるものの、これを目前にして彼は彼女の元を去っていってしまう。理由はよく分からない。ふたりの間に感情的なやり取りはないし、菅元が取り乱したりすることもないから、彼女の内面に何が起こっているのかを私たちは知る由もない。やがて菅元は、ふたりの新婚旅行の目的地だった四国の足摺岬へと向かうこととなる。
なぜ、青木は愛する者の元を去ったのか。先述しているように、その理由は分からない。まるで分からない。そして菅元はこれをすんなりと受け入れてしまう。なぜなのだろうか。まったく分からない。が、私たち観客はあくまでも彼女らの人生のほんの一端に触れただけなのだから、そもそも分かるはずもない。ここで「なぜ?」という問いを立ててしまっては、物語はこれ以降、前へと進めなくなってしまう。主人公の歩みも止まってしまうだろう。
菅元の表情からは朗らかな笑顔が消えてしまうから、やはり何かしらの内面の変化はあるはず。しかし本当のところは分からない。観客は彼女たちのやり取りから想像するしかない。そのうちのどれかは正しくて、そしてすべてが誤りだろう。菅元と青木が重ねてきた時間や経験は、ふたりだけのものなのだから。