『ブレイキング・バッド』ヴィンス・ギリガンが本領発揮 『プルリブス』の革新性に迫る

 エミー賞を席巻し、広く評価された『ブレイキング・バッド』。その中心クリエイターであり、『ベター・コール・ソウル』では製作総指揮を手がけたヴィンス・ギリガンが新たに世に放った、世界待望の新作ドラマ『プルリブス』が 、Appleオリジナルドラマとしてリリースされた。

 その内容は、ある日突然に人々のDNAが書き換わり、人類の精神が“単一の意識”に塗り替えられてしまうという、一種の「ポスト・アポカリプス」ものだ。この原稿を書いている時点で全9エピソード中、まだ2エピソードしか配信されていないが、その不穏な雰囲気や、そこから生まれる哲学性、そして皮肉なユーモアは、さすが『ブレイキング・バッド』において悪の境界を描いてきたギリガンの本領が発揮されていると感じられる。

 ここでは、そんな第2話までの内容をもとに、本ドラマシリーズの革新性や、このストーリーで何を描こうとしているのか、提示される真の恐怖とは何なのかを考察していきたい。

※本記事では、『プルリブス』第2話までのストーリー展開を明らかにしています

 主演は、『ベター・コール・ソウル』に出演したレイ・シーホーン。知的な役柄が似合う彼女が演じる主人公キャロルは、官能ロマンス小説の作家としてファンからの賞賛を浴びる人物である。公私ともにパートナーであるヘレンとともに、アメリカの各都市を巡って朗読やサイン会をしてファンと交流する「ブックツアー」をしているところから、物語は動き出す。

 ファンの目から離れるとすぐに、「ゴミ小説界隈では人気あるけどね」とキャロルが自虐的な言動をするように、彼女は自分の創造したキャラクターや物語に性的な欲求を向ける読者、ファンに対してうんざりしているように感じられる。官能ロマンスを書いているのだから当たり前ではあるのだが、皮肉屋でドライな性格が、この時点で読み取れるのだ。

 出発前にバーでヘレンと時間をつぶすキャロルだったが、そこで事件が起こる。周囲の人々が突然に痙攣をしだして、“フリーズ”状態になってしまうのである。同じ症状に陥ったヘレンを病院に連れていくと、そこでも全ての医師や患者たちが同じような状態になっていた。結果的にヘレンは命を落としてしまうのだが、異常事態が露わになるのは、むしろここからだ。人々が突然に動き出し、パニックに陥っているキャロルに対し、「君を助けたい、キャロル」と、全員が声を揃えるのである。彼らのほとんどが初対面にもかかわらずだ。

 彼らは、自分のことを「われわれ」と呼ぶ。それぞれの意識が統一され、“単一の存在”に乗っ取られてしまったようである。一人ひとりは人間としての記憶や能力を引き継いでいるが、意識のみが一つ。どうやら亡くなる直前に「われわれ」となったヘレンの記憶を共有したことで、彼らはキャロルの情報も得ていたのだ。

 本作の「プルリブス」とは、ラテン語で「多数」の意味を表す。アメリカ合衆国の国章には、この単語を使った「エ・プルリブス・ウヌム(多数から一つへ)」という言葉が記され、複数の州が集まった「ユナイテッド・ステイツ」の精神をそのまま示している。そんな国家を連想させる言葉が、ポスト・アポカリプスの世界を映し出す、本シリーズのタイトルで使われているのが皮肉だ。

 驚くべき同化へのスピードによって人類全てが乗っ取られていくなかで、キャロルが「われわれ」にならなかったのは、彼女がたまたま特異体質であったからのようだ。彼女がおそるおそる「われわれ」に尋ねると、なんと同化しなかった人物は、キャロル以外に世界で11人しかいなかったのだという。

 このような、侵略者が人類を乗っ取るホラーサスペンスというのは、これまでもSF小説や映画の題材として機能してきた。『遊星からの物体X』(1982年)、『ゼイリブ』(1988年)、『光る眼』(1995年)など、とくにジョン・カーペンター監督が、映画における代表的な“乗っ取り型”作品の提供者として知られる。

 本シリーズが特徴的なのは、この侵略者が非常に親切で友好的であるということだ。いまだ同化しないキャロルの意志を尊重し、気遣いながら話を聞き、最大限に望みを聞いてくれるのである。そして、キャロルの小説の登場人物である「女海賊」のイメージそのままに見える個体を差し向け、コミュニケーションをとろうとする。その会話に嘘はない。唯一はっきりと答えないのは、キャロルの心理的負担になることが予想される事柄のみだ。つまり、思いやりがあり共感性が強い存在だということである。

 社会問題についての意識も高い。きわめて高潔な思想を持つ単一の意識によって人々が動くため、戦争やあらゆる争い、犯罪、差別、経済格差、環境破壊や文化的摩擦などが起こりようがなくなっている。乗っ取り時にやむなく多くの人間を死に至らしめ、あるいは意識を奪ってしまってはいるが、「われわれ」は、その罪を自覚し、隠すことなく謝罪をするのだ。

 次第に、「あれ? いまの人類より、こっちの方が良くないか?」と思い始める視聴者は少なくないはずである。なにせ、いまの世界は利己主義に支配され、争いや虐殺、排外や搾取、デマによる煽動などなど、さまざまな問題が絶えず起こっている。そればかりか、自分の罪を隠蔽し自己正当化を続けるのが常だ。そういった歴史を繰り返してきたにもかかわらず、愚かしい選択をする人々は絶えず、悲劇は終わることがない。さらに自分たちの生活する環境すら悪化させていき、その流れも止まらない状況。これは、繁殖し繁栄する生物として致命的な“バグ”なのではないか。そういった欠陥から、ついに人類は解放された。こちらの方が、生物としてよほど上等ではないのか。むしろ人類の“正統な進化”と言っていいのかもしれない。

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