『べらぼう』を貫く「我が心のままに」 松平定信の人間描写にみる森下佳子脚本の奥深さ

 また、第32回において、妻・ふく(小野花梨)と子は「己の金のことしか考えぬ。さような田沼が作ったこの世に殺されたのだ」と思い、打ちこわしに臨む新之助(井之脇海)の思いに寄り添ったのも、蔦重が言って聞かせる「我が心のままに」という言葉だった。つまり、言いたいことを言ったら咎められ「我が心のままに生きる」ことが困難な時代になればなるほど、源内のその言葉はより一層深く響くのではないか。登場人物それぞれの心の中に棲みつき、「お守り」のように彼らを守り、時に鼓舞する。そしてその言葉はきっと、『べらぼう』がこの先最終話を迎えた後も、視聴者の心にずっと残り続けることだろう。背中を押す言葉として。あるいは今、変わりつつある世の中への警鐘として。

 しかし、「ふんどし野郎」と蔦重に揶揄される松平定信が、意次を追い出し、作家たちを取り締まる非情極まりない悪人として描かれていない点も本作の興味深さだ。初登城の日、吉宗公の孫であることを誇張するため木綿の着物を着て現れたことを「クセ強めなアピール」と言ってみたり、朋誠堂喜三二(尾美としのり)作『文武二道万石通』の本来の意図を読み誤り「励ましてくれている」と喜ぶ姿を即座に否定して見せたりする軽快な「語り」が、定信が本来持つユーモラスな一面を分かりやすく伝えている。

 また、不遇の青年期を過ごした定信が蔦重の手掛けた作品に触れる姿は、青年期を演じた寺田心を通してこれまでも描かれてきたし、第30回で蔦重なりの「仇討ち」の思いが込められた山東京伝(古川雄大)作『江戸生艶気蒲焼』を読んで、「自身の仇」田沼意次を思い奮起する一幕も描かれた。黄表紙の新作が出たら楽しみに読み、作り手を「喜三二の神」「蔦重大明神」と崇め、何より恋川春町贔屓だという彼の、あまりにも純粋で真っ直ぐな黄表紙との向き合い方は、「黄表紙オタク」というだけでなく、本で得られる娯楽を唯一の拠りどころに孤独な青春時代を過ごしてきた人特有の何かであるように思え、共感すら芽生えてくる。

 だからこそ、「憧れの人」恋川春町の、定信に対する「からかいではなく諫めたい」という思いが、恐らく決定的にすれ違うだろうことがなんとも切ない。それもまた、森下佳子脚本の奥深さである。

■放送情報
大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』
NHK総合にて、毎週日曜20:00〜放送/翌週土曜13:05〜再放送
NHK BSにて、毎週日曜18:00〜放送
NHK BSP4Kにて、毎週日曜12:15〜放送/毎週日曜18:00〜再放送
出演:横浜流星、小芝風花、渡辺謙、染谷将太、宮沢氷魚、片岡愛之助
語り:綾瀬はるか
脚本:森下佳子
音楽:ジョン・グラム
制作統括:藤並英樹
プロデューサー:石村将太、松田恭典
演出:大原拓、深川貴志
写真提供=NHK

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