『cocoon』はなぜ画期的なのか “戦争アニメ”の系譜と“セカイ系”表現の視点から紐解く
8月25日深夜にNHK総合で放送された特集アニメ『cocoon〜ある夏の少女たちより〜』(以下、cocoon)は、今日マチ子が2010年に刊行した戦争マンガの名作『COCOON』(秋田書店)を原作とし、戦後80年を迎えた2025年に、改めて戦争について思いを巡らせるために製作された。アニメーション制作を担当したのは、これも今年設立40年の節目を迎えたスタジオジブリで長年動画チェックなどを手掛けたアニメーター・舘野仁美が立ち上げたササユリで、舘野は本作のアニメーションプロデューサーも務める。『cocoon』は、ある南の島で女子校に通うサンとマユという2人の少女が主人公である。どうやら作中は戦時下であるらしく、彼女たちは学徒隊として女性教師の指揮のもとで陣地構築の作業を行っている。やがて戦況が進み、濠の中の病院に看護隊として動員され、負傷した兵士の世話もすることになる。さらに空襲と敵兵襲来のために、その濠にもいられなくなり、彼女たちは仲間とともに岬を目指して旅立つ。アニメの冒頭の字幕では、物語の舞台はあくまでも架空の島とされているが、本作がアジア・太平洋戦争の沖縄戦の末期、看護訓練のために動員され、解散命令の末に集団自決したひめゆり学徒隊の有名な実話がモティーフになっていることはわかりやすい。
今年はササユリのルーツでもあるスタジオジブリの高畑勲監督の名作『火垂るの墓』(1988年)が、7月15日からジブリ作品としては国内で初めてNetflixでネット配信が開始され、8月15日の終戦記念日には7年ぶりに『金曜ロードショー』(日本テレビ系)でテレビ放送された。また、9年前に公開され、各方面から絶賛された片渕須直監督の『この世界の片隅に』(2016年)がやはり戦後80年を記念してリバイバル上映されるなど、「戦争」(特に先の大戦)を描いたアニメに注目が集まっている。
もちろん、この80年間、第2次世界大戦やアジア・太平洋戦争(十五年戦争)を描いた映画やアニメ、ドキュメンタリーが無数に作られてきた。というよりも、日本最初の長編アニメーション映画と言われる『桃太郎の海鷲』(1943年)やその続編『桃太郎 海の神兵』(1945年)にしてからが、海軍省の支援で製作された戦時下のプロパガンダ作品であったことはつとに知られている。2022年に刊行された佐野明子・堀ひかり編著『戦争と日本アニメ――『桃太郎 海の神兵』とは何だったのか』(青弓社)や、同論集にも寄稿している評論家の大塚英志が長年にわたって主張しているように、そもそもアニメを含む戦後日本のオタク文化が、戦時下のいわゆる「兵器リアリズム」に端を発しているともしばしば言われる。
このコラムでは主にZ世代と呼ばれる若い世代に向けて、これら平成・令和期に作られたいくつかの戦争アニメを振り返って紹介しながら、『cocoon』の戦争アニメとしての位置づけを考えてみたい。
現代の戦争アニメ――『火垂るの墓』から『cocoon』へ
今回のアニメの『cocoon』は、先ほども述べたように、ジブリに縁の深いササユリが制作を手掛けたこともあり、全篇にわたって絵柄も含めて数々のジブリアニメを髣髴とさせる要素に満ちていたのが印象的だった。
少し傾斜のついた草原に横たわるヒロインから始まるオープニングは『魔女の宅急便』(1989年)を思わせるし、他にも、少女(女性)たちの協働する共同体は、『紅の豚』(1992年)や『もののけ姫』(1997年)。冥界のような水中世界でサンが友人たちと巡り合う場面は『崖の上のポニョ』(2008年)のようだし、狭い路地を駆け抜ける姿は、『千と千尋の神隠し』(2001年)のワンシーンを思い起こす。そして、何よりも『火垂るの墓』だろう。
周知のように、『火垂るの墓』は、敗戦前後の一時期の神戸を舞台に、親を亡くした幼い兄妹が混乱の中で必死に生き抜こうとする姿とその悲劇的な死を描く。同じ1980年代には、中原啓治原作の『はだしのゲン』(1983年)、『はだしのゲン2』(1986年)など、同様に直接的な戦場ではなく銃後の一般市民の「小さな現実」を丁寧に描いた戦争アニメが作られるようになる。
この『火垂るの墓』から『cocoon』まで続く、大きな歴史的できごとや社会的事件を題材にするのではなく、その中で生きる一個人の「小さな人生」をリアルかつ慎ましく描くという方向性は、直接的な戦争体験や記憶の共有がなくなった現代人の心にも響きやすく、平成以降の戦争アニメの一つの目立った基調をなすものになったと言える。その最大の成果が、何と言ってもタイトルからそのことを示す『この世界の片隅に』であることは言うまでもない。広島・呉に嫁いだ北條すずという1人の女性の戦時下の半生を丹念に描いたこの作品も、例えば「ヒロシマ」の悲劇を大仰に描いたり陰惨な描写を披瀝することなく、現代にも通じる日常感覚を大切にしたことで、若い世代を含む現代の多くの人々の共感と感動を呼んだ。
アニメの『cocoon』も作中では多くの遺体や女性に対する暴力が登場するものの、表現方法としては『この世界の片隅に』同様、きわめて暗示的で抑制されている。ただ、この点については、同じように戦時下の「小さな現実」に着目していても、昭和末期の『火垂るの墓』や『はだしのゲン』とは大きく違うだろう。例えば『火垂るの墓』の高畑は1935年生まれ、『はだしのゲン』の監督・真崎守は1941年生まれという、実際に過酷な戦争体験のある「少国民世代」である。したがって、現在でもたびたび話題になる『火垂るの墓』の兄妹の母親のショッキングな遺体の描写など、現代の感覚では忌避されるような直接的な表現も登場するのが特徴的だ。近年、『アニメと戦争』(日本評論社)でアニメ評論家の藤津亮太も指摘したように、1970年代後半に「アニメ」ブームを巻き起こしたアニメ『宇宙戦艦ヤマト』(1974年)の作り手までは、だいたい高畑や真崎と同じ少国民世代である。『ヤマト』もタイトルからしてあからさまにアジア・太平洋戦争に記憶に裏打ちされた作品だった。ただそれが、わずか数年後の『機動戦士ガンダム』(1979年)になると、作り手の中核が戦後に生まれ、戦争体験のない「団塊の世代」に移行し、藤津曰くそれらは「良心の傷まない戦争ごっこ」の物語として製作され、消費されていくことになる。ともあれ、『cocoon』は『火垂るの墓』が一つの分水嶺となり、その後、『この世界の片隅に』まで続く先の大戦を題材にした戦争アニメの現代的系譜の上にある。