“映画好き”にこそ勧めたい『TOKYO MER 南海ミッション』 “攻め”のディザスターに興奮必至

映画好き必見『TOKYO MER 南海ミッション』

 正直に言う。映画館で邦ドラの続き物の作品が上映されていたとして、これをチョイスすることはあまりない。これはスタンスといった確固たるものではなく、映画館で人の頭を吹き飛ばすような洋画やチョップで悪党の鎖骨をへし折る香港映画が上映していればそっちをチョイスしてしまいがちというだけのことだ。これはちょっと控え目の表現で、本音を言うとTV局の映画にありがちな感動の押し売りにコッテリとしたメロドラマにぼんやりとした拒否反応がある。

 映画好きはつい「どんな作品でも観るチャレンジングな自分」にアイデンティティを置きがちだが、邦ドラの続き物の存在がその情けない自認を否定してくれる。結局のところ、人が盛大に死ぬ映画を選びがちで、作品チョイスはどこまで行っても保守的なのだ。だが、劇場版『TOKYO MER〜走る緊急救命室〜南海ミッション』はそんな映画好きにこそ映画館で観るべき作品だ。真に「チャレンジングな自分」の馬鹿馬鹿しいアイデンティティを獲得できるからではない。とても面白いからだ。

 恐らく「映画好き」に本作をお勧めするにあたって、いくつかの誤解を一つずつ解いていく作業が必要になる。まず、劇場版『TOKYO MER〜走る緊急救命室〜南海ミッション』にはコッテリした人間ドラマは存在しない。孤島で起きた大噴火にマッシヴな鈴木亮平とその仲間が突っ込んでいく大興奮のディザスターであり、極限状況におけるプロフェッショナルの在り方をソリッドに描いている。そういうわけで定期的に挿入される過去回想にうんざりさせられることもなければ、溶岩が迫る中で傷ついた人を腕に抱えてスローモーションで「ワオーッ」と叫んだりする演出に辟易させられることもない。

 そしてもう一つ。TVシリーズを含めそれなりの歴史を持つ『TOKYO MER〜走る緊急救命室〜』(TBS系)シリーズだが、劇場版『TOKYO MER〜走る緊急救命室〜南海ミッション』を楽しむにあたって過去の作品を観る必要はない。実際、筆者も前作の劇場版『TOKYO MER〜走る緊急救命室〜』(2023年)しか観ていない。というのも、本作に登場する主要なメンバーのほとんどが映画オリジナルキャラクターなのだ。これによってドラマシリーズの因縁を引きずらない独立した一本として成立している。また、オリジナルキャラクターの扱い方も絶妙だ。江口洋介演じる牧志秀実は悲しい過去を抱えたキャラクターだが、それをやたら脂っこい過去回想で押しつけがましく説明することはない。物語上の自然な流れで過去が引き出され、キャラクターに深みを与えている。

 要約すると本作には映画好きがぼんやり想像するような(しかし実際にはよく知らない)「邦ドラの続き物」にありがちな要素がない。感動の押し売りやコッテリとしたメロドラマ。うんざりするような過去回想。そういったものが排されており「映画」に徹した一本と言える。とはいえ、以上に挙げた要素は本作における「引き算」である。とても美しいが、興奮する真のクライマックスに直結するわけではない。劇場版『TOKYO MER〜走る緊急救命室〜南海ミッション』ひいては『TOKYO MER』シリーズには、独自性があると言っていい。それはたった一つの掛け算によって成立している。そう、ディザスター×医療である。

 もし我々が大災害に遭遇したとき、出来ることといえば慌てて逃げ惑うくらいだろう。土地を浸食する溶岩や降り注ぐ噴石に対し、我々ができることは驚くほど少ない。だが鈴木亮平は違う。鈴木亮平はむしろ突っ込んでいく。彼はレスキュー隊員なのだろうか? 違う。医者である。医者がディザスター状況へ真っすぐ突っ込む。それが『TOKYO MER』なのだ。

 ディザスターと医療ががっぷり四つで組み合う瞬間を目撃したことはあるだろうか? 『TOKYO MER』は医療という武器で大災害に立ち向かう唯一無二のディザスターである。災害に対して我々は逃げ惑い、結局のところ「守り」に入るしかない。しかし、『TOKYO MER』は災害現場へガンガン突っ込み、その場で救命活動を行い全ての人の命を救うことを目的とする。死者数0を目指すことは、なすすべを持たない大災害に対する唯一の反逆と言っていい。すなわち『TOKYO MER』とは「攻め」のディザスターなのだ。

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