綾瀬はるか主演『ひとりでしにたい』を観て考える、大切な人たちへの“最後の贈り物”
「孤独死」とは不思議な言葉だ。NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』に登場する『心中天網島』のようなことでもない限り、誰かと一緒に望んで一生を終えることはあまり現実的な話ではない。そして誰にも看取られずに一人で亡くなるということは、どんな場面でもあり得る話だ。孤独死とは単なる言葉ではなく、死という瞬間に対する計り知れない恐怖心が満ちた表現なのだ。
NHK土曜ドラマ『ひとりでしにたい』の主人公は、山口鳴海(綾瀬はるか)。学芸員として熱心に仕事をこなし、プライベートではアイドルの推し活に勤しみ、最近は念願の保護猫を飼い始めるなどシングルライフを謳歌している。ある日、伯母・光子(山口紗弥加)が急死。生涯独身で仕事人間だった伯母は幼い頃の鳴海にとってロールモデルだったが、入浴中の心筋梗塞という、事後が大変悲惨な孤独死を遂げたのだった。両親からも「女一人の老後なんてみじめ」「アンタも伯母さんみたいになるよ!」とけしかけられ、鳴海は恐怖から婚活を始めるが、詐欺まがいの誘いが来るなどことごとく目論見は外れる。さらには同僚・那須田(佐野勇斗)からは「結婚すれば安泰なんて考え方、時代遅れです。そんなふうに思い込むのは、今まで何も考えて来なかったからですよね」とキツい一言を食らってしまう。こうして鳴海の“よりよく死ぬ”ための終活クエストがスタートする。
『ひとりでしにたい』の原作は、漫画家・コラムニストであるカレー沢薫の同名コミックスだ。彼女は不条理ネタや下ネタなども多用する一方、知られざる美術館の仕事をギャグを交えて分かりやすく解説してくれた東京都写真美術館広報誌別冊『ニァイズ』も面白い。社会のあらゆるフェーズにひそむ格差に対して感じたことを語るコラム「なで肩格差図鑑」では、とかく先鋭的な論争になりがちな話題をゆるさとギャグセンスで扱いながら、本質をも捉えられる視点を持ち合わせているのが分かる。『ひとりでしにたい』 は、こうしたバランス感覚を持ち合わせたカレー澤だからこそ描けた作品だ。
ドラマは、俯瞰していたカメラの視点が猫に移動したり、急に画角が変わったりと漫画のような自由自在の表現を意識しているように、原作のコミカルさにタッチを寄せている。たとえば一般的な漫画ではしばしば見られる“コマの余白に描かれたギャグタッチのイラスト”という演出までも、実写で再現されている。男性たちが自分の年齢はさておいて若い女性とマッチングしたがる現状を那須田が冷静に説明し、アラフォーの鳴海を「裸同然で戦場に行くようなものですよ」と突き放すシーンでは、肉襦袢で裸に見立てた鳴海が戦国時代の足軽のようにドタバタと出陣していく姿が実演される。原作へのリスペクトを感じるとともに、とかく悲壮感が漂いがちな“孤独死”を含む死そのものの話題をポップに見せてくれているのだ。本来なら漫画でしかあり得ない描写を、綾瀬はるかが実に楽しそうに表現しているのも良い。
そして綾瀬はるかと今作のテーマにも、浅からぬ因縁を感じる。彼女は2007年のドラマ『ホタルノヒカリ』(日本テレビ系)で、会社ではスタイリッシュだがプライベートでは恋愛を放棄してぐうたら過ごす20代の“干物女”を演じて話題を呼んだ。時代が移り変わり、恋愛をしない女性=“干物女”という恋愛主体で人生をみつめる価値観自体が古めかしくなった今、実は那須田は、常に楽しそうに自分らしく生きる鳴海にひそかな想いを寄せていた。一人でも好きなことを謳歌できる女性を肯定するキャラクターを、“干物女”だった彼女が演じているのも感慨深い。