古舘寛治が信じる“映画の力” 足立正生監督作『逃走』桐島聡を演じた先に見つけたもの
1974年に起きた連続企業爆破事件の犯人として指名手配され、交番に貼られたポスターで日本中に知られる存在となった東アジア反日武装戦線「さそり」のメンバー、桐島聡。2024年1月、彼が半世紀近くにわたる逃亡生活の末、病床で死の直前に正体を明かしたというニュースは、国民に衝撃を与えた。その想像を絶する逃走の日々と、孤独のなかで抱き続けた信念と葛藤を映像化したのが、映画『逃走』である。
監督・脚本を手がけたのは、御年85歳の異才・足立正生。自身も日本赤軍メンバーとして国際指名手配された経験を持つ足立監督が、誰も知らなかった桐島聡の逃走=闘争を独自の視点で描くという刺激的企画である。主人公・桐島役に抜擢されたのは、唯一無二の個性派俳優として活躍する古舘寛治。キャラクターに没入する演技スタイルで実在の逃亡犯を熱演した彼に、企画との出会いから現在の心境まで、大いに語ってもらった。(岡本敦史)
足立正生監督は「とんでもない人」
――2024年1月、桐島聡が死の直前に正体を明かしたというニュースを聞いたとき、古舘さんはどう思われましたか?
古舘寛治(以下、古舘):僕は桐島さんのことを詳しく存じ上げなかったんですが、そのニュースを最初に聞いたとき、すごく興味を持ちました。大体、普段見聞きするニュースというのは、誰が誰を殺したとか、政治のひどい話だとか、代わり映えのない暗いものが多い。そのなかでは珍しく、背景を詳しく知りたくなるようなニュースだった。もちろんそのときは、自分がこんなかたちで彼の人生を演じることになるとは思っていませんでしたけどね。
――そして、この作品の出演オファーが来たときは?
古舘:「ほかにやる俳優がいなかったんだろうな」と思いました(笑)。きっといろんなところで断られたんだろうなと。でも、作品の性質上、政治色のついていない俳優がやったほうがいいだろうし、僕としても、こういう役をやるとまた一部の攻撃対象にされるだろうなという躊躇がありました。だけど、足立監督の書いたホン(脚本)が面白かったし、僕が主役のオファーをもらう機会もあまりないので、まずはお会いしようと。足立監督がすごくステキな人だという話は聞いていましたし、興味もあったので。そしたら、足立監督は危惧する僕の話には興味を示さず、「ホンはどうだった?」と訊くので「面白かったです」と答えたら、こう、目の前に手を差し伸べられまして。
――ああ、もう断れませんね(笑)。
古舘:あの足立監督から手を差し伸べられたら、ねぇ。初対面でもこちらから握手を求めたくなるような、魅力的な人ですから。それでつい僕も握手を返してしまって、いまに至ります。
――脚本を読んで面白かったところは?
古舘:最初にいただいたホンは、最終稿とはだいぶ違っていて、ものすごく壮大な内容だったんですよ。冒頭は日韓ワールドカップの大歓声に沸くスタジアムから始まって、どうやって撮るんだろう?と思うような。だから足立監督には「この企画、Netflixに持っていったほうがいいですよ」とも言ったんだけど(笑)。その後、自分が桐島役をやることに決まってから、いただいたホンにいろんな疑問点や確認したいことをメモっていたんですけど、それが終わらないうちに改訂稿が送られてきたんです。それで、またアタマから読み直してメモを書き込んでいると、また次の改訂稿が来て……結局どれぐらい書き直したのか分からないぐらい、どんどん新しいホンが届くんです。とんでもない人だな、と思いましたね。おそらくプロデューサーの要望とか、予算の都合とかで削る判断をした箇所もあったと思いますけど。
――その間、足立監督と古舘さんの間で、ディスカッションはされていたんですか?
古舘:話し合いは撮影に入る前後からしていましたし、脚本段階でも疑問点などをメールで送ったりしていました。でも、本当にクランクインする直前まで改訂稿が届くような状態だったので……まあ、そこまでいくと中身が全部ガラッと変わるわけではなかったですけどね。
――クランクインしてしまうと、なかなか時間的余裕のない低予算映画の現場では、話し合いもあまりできないですよね。
古舘:そうですね。時間はなかったけれども、それでも極力、監督にいろいろ質問しながらやっていたと思います。あまり具体的なことは覚えていませんが……つまり、桐島聡という実在の人物を描きながら、やっぱり足立監督にとっての“桐島聡像”というのがあるわけです。それは監督に聞くのがいちばん確実ですよね。それと、足立監督がそうなのか、あの世代独特の特質なのかは分からないけれど、言葉がとても難しい。非常に深い思考の上に築かれた思想があって、それを裏付ける言葉があるわけですけど、たとえば「革命への確信」というフレーズとか、即座には理解できないような部分もある。それを劇中では滔々と喋らないといけなかったりするので、「このセリフはこういう意味ですか?」とか、「この言葉はこういう解釈でいいんですか?」と訊くこともあるし、「じゃあこんな言い方に変えられますか?」みたいなこともあったと思います。
――セリフを自分のものにするためのプロセスとしてもディスカッションが必要だったわけですね。
古舘:はい。僕自身がその言葉を普通に使えるぐらい、セリフを理解しないといけなかった。足立監督という人は、言葉のセンスを非常に強く持っている方だと思うんですよね。それはあの世代独特の文化も影響しているのかもしれない。たとえば左翼活動家の人たちが、自分たちの行動を思想的に裏付けるための独特のボキャブラリーというものがあって、僕はそれを自然に口をついて出る言葉にしないといけなかった。その準備はどうしても必要で、それも含めて監督とは何度も話し合いました。
――古舘さん自身が役作りのために準備したことは?
古舘:桐島さんがなぜこういう行動を選んだのか、それを自分のなかで理解するためのリサーチは、ある程度はしました。でも、ギターの練習や、長ゼリフを覚えること自体に時間を取られて、そこまで徹底できなかった気はします。リサーチと言っても、僕みたいな一般人が調べられる範囲には限りがあるので、それ以上のことを知っている足立監督に聞いたほうが早い、みたいなこともたくさんありました。監督は、実は桐島さん本人と過去にすれ違っていたらしい、という方ですから。
――若いころの桐島役を演じた杉田雷麟さんとは、撮影前に話し合ったりはされましたか?
古舘:やっぱり同じ人物を演じるので、ちょっとした仕草とか、そういう部分については共有しようと話し合ったりはしました。まったく同じに見えるとは言わないまでも、ある程度は似ていたいという気持ちがあったので。それが出来上がった作品にどれだけ残っているのか分かりませんけど。
――現場での足立監督の演出ぶりはいかがでしたか?
古舘:いつも楽しそうでしたね(笑)。だから現場の空気はとてもいいんです。僕のような俳優は、まず現場でやってみて、それから方向性を探りながら、いいところに持っていきたいというタイプなんですけど、そういう時間はない。まあ、日本の現場は大体そうですけどね。今回は特にタイトなスケジュールでしたから、僕が思っていたよりも大体早く監督が「OK!」と言う(笑)。早めに結果を出さなければいけないのは、僕としてはつらいこともありましたけど、徐々に順応していった感じです。
――現場で監督から思いがけない注文が出たりしたことは?
古舘:わりとありましたね。いまだから分かることですけど、基本的に、これはリアリズム主体の映画ではない。撮影当時はそのバランスが掴みきれないところもあって、あんまり呑み込めないままに演じた部分もあると思います。でも、各場面のなかで少なくとも自分が無理やフリをしない状態でいるという意味でのリアリティの追求は、一所懸命やっていたと思います。たとえば病院のシーンは、1日で撮影したんですけど……。
――そうなんですか!
古舘:あの日は時間がなくて本当に大変でした。死の間際に「私は桐島聡です」と告白するところも、僕は最初、リアリズムを基調に考えていたんです。末期がんでベッドに横たわったまま、息も絶え絶えにセリフを言うような感じを想定していたら、足立監督から「ここは起き上がって、刑事と対峙するように言ってくれ」と言われて。いや無理でしょ!と思ったんだけど、監督は「いや、ここで起き上がらないなんてありえない!」と。そのとき、監督がこの映画で描きたかったのはこれなんだな、とハッキリ分かった気がしました。
――大変そうと言えば、お寺での修行中、僧侶の格好をした自分自身と問答を繰り広げるイメージシーンも印象に残ります。どんなふうに撮影されたのでしょうか?
古舘:あの場面はもちろん、片方ずつ撮って画面上で合成しているんですけど、まず僧侶のほうから先に撮りました。最初は助監督さんに前に座ってもらい、セリフを読んでもらって、それに応えるかたちでやってみたんですけど、うまくいかなかったんですね。それで今度は真向かいに三脚を立ててもらって、顔の位置にテープを貼ってもらい、一人芝居の状態で撮りました。かなり膨大な量のセリフの応酬ですし、しかも両方とも自分のセリフなので、必死に覚えて臨んだんですけどね……。撮り始めて最初の頃はまだセリフが出てきたんだけど、やればやるほど「自分は今、どこをやっているんだ!?」という状態になって(笑)。もうこれ以上はできません!と音を上げる寸前ぐらいまで、繰り返し撮っていたと思います。出来上がりを観たら、なんとかなったかな、と思いましたけど。
――掛け合いのタイミングや位置関係など、非常にうまくいっていたと思います。足立監督は古舘さんの芝居に対して「よかったよ!」みたいなことは現場で言ってくれるんですか?
古舘:「よし!」っていう感じでしたね(笑)。基本的に褒めるし、俳優をノセるのが上手な方なので、またノセられてるなぁ俺……みたいなことを思いながら日々過ごしていました。先ほども言った病院のベッドから起き上がるシーンのように、何度か「そうじゃない」みたいなことも言われたと思うんですけど、監督の解釈を聞くとすごく腑に落ちるんですよね。でも、基本的にはどんどんOKを出して前に進んでいく感じでした。器が大きいというか。
――ナレーションも印象的でした。淡々とした語りではなく、桐島の憤懣やるかたない思いがこもったような。
古舘:ナレーションは編集が終わってから収録したので、撮影からはだいぶ時間が経っていたんですけどね。当然、収録する前に監督からの指示もありましたし、自分でも確認しました。いわゆる説明ゼリフ的な役割もありますけど、「これは観客が聞き取りやすいナレーションではなくて、桐島の言葉として喋っていいんですよね?」と。そしたら「そうだよ」と言ってもらえたので、若干たどたどしい部分も含め、一応そういうつもりでやりました。観客に対して語り聞かせるというよりも、ベッドの上で自分の人生を振り返りながら、社会や世間に向かって言葉を投げかけているようなイメージでした。