年末に登場した謎の深夜番組『飯沼一家に謝罪します』 “儀式”ד謝罪”の名状し難い恐ろしさ
『飯沼一家に謝罪します』で、まず映し出されるのは、2004年に放送されたという設定で紹介される、謎の深夜番組だ。その内容は、文学部史学科の教授がカメラの前に立ち、「私は矢代誠太郎という者です。これからこの時間をお借りして、飯沼一家に謝罪します」と語り出し、その経緯を語っていくというもの。
矢代誠太郎が語る話は、多くの視聴者にとって理解し難い、狂気をはらんだものだ。1999年に放送されたという設定の「幸せ家族王」というTVのチャレンジ番組で、見事、100万円とハワイ旅行を手にした“飯沼一家”に、じつは自身が“運気を高める儀式”をおこなっていたと告白するのである。しかし、その儀式は失敗であったことが分かり、一家は幸運の代償に火事で命を落とすことになったというのだ。
矢代が、「これから私は、“四十九日の裁き”を受けさせていただきます」と言って、階段を登っていくところで、この番組は終了する。このように異様な雰囲気で奇妙な話を続ける内容は、視聴者に強烈な印書を残し、後にネット上で伝説化していく。本シリーズ『飯沼一家に謝罪します』は、この異常な内容がなぜオンエアに至ったのか、真相を調査する情報番組のかたちで演出されていくのである。
取材は、営業局員、編成局員、制作局員、そして当時の編成局長など、TV局の中の人々から、火事で命を落とした飯沼一家にまつわる人々にも話を聞いていく。そのなかで意外な事実や、奇妙な出来事の存在も明らかになってゆく。儀式をおこなった後に撮られたという不気味な写真や、謎を深める映像の数々は、本シリーズのホラー要素を押さえるのに寄与している。
本シリーズも、『イシナガキクエを探しています』と同じく、いくつかの謎を残しつつも、ミステリー風に一つの真実へと肉薄して幕を閉じることになる。その意味において「TXQ FICTION」は、本質的に一つのホラードラマ作品の変奏と位置付けられることになるだろう。しかし同時に、本シリーズには表面的なホラー要素以外に、名状し難い恐ろしさをも含んでいるように思えるのだ。それは、“儀式”と“謝罪”という要素が結びついている点にあるのではないか。
例えば、芸能人や企業の責任者など、影響力のある人物は、社会的に問題のある行動をしたことが明らかになったとき、謝罪会見を開くことがある。その結果、各局のTV番組を通して謝罪を拡散することとなるのだ。もちろん、その行為には社会的な意味があるだろう。何が悪かったのか、どう反省しているのかを対外的に述べることは重要ではある。しかし一方で、その謝罪内容によっては、いったい誰に向かって謝っているのか分からないと思えるときもある。
電波に乗せて虚空へと放たれていく謝罪……。それは、“世間”という曖昧な怒りの総体を鎮めようとする一種の宗教行為であるのかもしれず、これこそが“儀式”そのものなのではないかと思えてくるのである。
そこに思いを馳せるうちに、筆者は寺山修司の書いたラジオドラマ『犬神歩き』という作品を想起する。母親が“犬神憑き”の状態になって、怪しい祈祷師を呼ぶという内容の物語は、そんな因習はびこる田舎から東京に逃げようとする主人公の青年をして、「“東京”は、私にとって一つの“祈祷”に過ぎなかったのではないだろうか」と結ばれる。
思えば本シリーズにおける、100万円を手にしようとする一家の望みや、そこで発生する怒りや恨み、謝罪の意志など、常に交差しているのは、人間たちの強い思念のようなものである。それが、写真や映像の異常として可視化されるというのは、まだ救いがあるのではないのか。真に恐ろしいのは、現実の社会に、このような目に見えない人間の隠された思いが、あたかも電波のように飛び交っているのかもしれないということではないだろうか。
本シリーズに渦巻いているように感じられる言いようのない不安は、自分をも含めた人間たちの思いに満たされた世界の姿を垣間見てしまう気がするからかもしれない。儀式や祈祷とは、その恐怖を鎮めようとする一種の抵抗なのだとしたら、合点のいくところがある。
■放送情報
TXQ FICTION『飯沼一家に謝罪します』
1月12日(日)、19日(日)、26日(日)25:50~26:20再放送
TVer、U-NEXTにて配信中
©テレビ東京
公式X(旧Twitter):@TXQFICTION
公式Instagram:@txqfiction