『踊る』シリーズでは見たことがない! 『室井慎次 敗れざる者』室井さんの穏やかな姿

 『踊る大捜査線』における室井慎次(柳葉敏郎)というキャラクターは、登場時こそ所轄の捜査員を下に見ながら出世を目指す典型的なキャリア官僚であったものの、主人公である青島(織田裕二)や湾岸署の面々との事件解決や交流を通して現場の刑事の在り方を理解しようと模索し、ドラマシリーズの最終話では青島と「現場の刑事が信念を曲げずに捜査ができるようにする」という“約束”を交わした。その後のスペシャルドラマ2本、そして劇場版4本では一貫してこの青島と室井の“約束”がストーリーにおける大きな柱となった。つまるところ『踊る大捜査線』におけるもうひとりの主人公として、シリーズを通して活躍し続けてきたのが室井慎次なのだ。

 所轄と本庁、ノンキャリとキャリア組、支店と本店、現場と会議室。青島と“約束”を交わしたことで警察組織の縦割り体制によって起こる対立構造の狭間に立つこととなった室井は、出世を重ねながらも常に上層部からのやっかみを買い、時には上司の捨て駒として扱われそうになったこともあった。元より険しい顔つきで捜査にあたっていた室井の眉間にはいつからか常にシワが寄るようになり、それが彼のトレードマークになってしまった。眉間のシワは怒りや悩み、痛みといった負の感情を表す。室井にとっての警察官人生は常に各々の都合だけで動く警察上層部への怒りと、そんな上層部の牙城をいつまでも崩せずに青島との約束を果たせない自分自身の不甲斐なさで包まれていた。元より人付き合いが得意ではなく、自身の感情を表に出すことの少ない室井にとって、この境遇は一層辛いものであっただろう。

 『踊る』シリーズ12年ぶりの新作となった『室井慎次 敗れざる者』では、果たせなかった青島との約束を悔やみながらも故郷である秋田に帰り、犯罪関係者の家族として行き場を失ってしまった少年たちの里親をしていることが明らかとなる。畑仕事をし、囲炉裏でカレーやきりたんぽを作り、夜は星空を見上げながらウイスキーを傾ける室井の姿は、これまでの『踊る大捜査線』シリーズでは到底見ることのできなかった姿だ。室井が以前主役を務めたスピンオフ作品『容疑者 室井慎次』でも、街の定食屋で食事を摂る姿や学生時代の切ない恋愛模様といったそれまでの『踊る』シリーズで描かれることのなかった室井の姿が描かれたが、本作はそれらを遥かに凌駕するほどに、これまで我々が見たことのない室井慎次の姿で溢れている。

 共に暮らす高校2年生の森貴仁(齋藤潤)と小学4年生の柳町凛久(前山こうが)に対する室井の眼差しは本物の父親のようだ。眉間のシワは浅くなり、あたたかくも優しさに満ちた目線を少年たちに向ける室井の姿は、警察組織におけるしがらみや難事件からの解放感をも感じさせる。一方で、警察の職を辞した今も、自身の考える=青島たちとの交流を通して学んだ、彼なりの正義の形を今もなお遂行しているのだ。父親代わりとなった室井は貴仁の成長を心から喜び、好奇心旺盛な凛久の質問に目線を揃えながら応え、食べ盛りの2人にカレーの肉を分け与える。彼らを傷つけようとする者が現れれば徹底的に戦おうとする。これまでにないほど人に目を向け、これまでにないほど優しく、これまでにないほど愛に満ち、眉間にシワの無い室井の姿を貴仁と凛久との交流を通して見ることができるのだ。

関連記事