山田尚子「SNSが世の中を喰っている」 『きみの色』で“若者の社会性”を描いたきっかけとは

 『映画けいおん!』『映画 聲の形』などの作品でタッグを組んできた山田尚子監督、吉田玲子脚本の新作アニメーション映画『きみの色』が8月30日より公開中。山田が得意とする「音楽×青春」の物語として、すべての観客の「自分の“好き”」を肯定してくれる一作だ。

 リアルサウンド映画部では監督を務めた山田にインタビュー。本作で“社会性”を描こうと思った自身の原体験から、画面の色使いや音楽演出の意図を聞いた。そして本作の舞台はなぜ「カトリック系のミッションスクール」だったのか。山田監督がそこに意図していたものとは。

「答えは1つじゃない、なぜなら人の形は1つじゃないから」

ーー公式サイトに掲載されている企画書の文章には、本作で“社会性”を描きたかったとありました。それをテーマに掲げようと思ったきっかけは何だったのでしょうか?

山田尚子(以下、山田):今回の作品で“社会性”、とくに高校生のものさしでの“社会性”を描きたいと思ったのは、甥っ子の存在が大きかったです。ちょうど中学生から高校生になるぐらいの子で、“すごく上手に話す”子なんです。人に対して失礼な言葉を選ばないし、人との距離感で失敗しないように器用に話している。私からはそのように見えていたんです。もちろんすごく優しい子だし、心もいい子で、無理しているように見えるわけではなく。そういう子が、ある時「数学みたいな1個の答えがあるものが好きだ」と言ったことがありました。普段は多方面に気を配っている中で彼が心を落ち着ける場所として、そういうものがあるのだと勝手に理解したのですが、そこがすごく面白いなと思ったんです。

ーーなるほど。

山田:今は“自分”というものを置く場所がたくさんありますよね。SNSもたくさんありますし、それらを選び取っていくことはとても体力がいるのではないでしょうか。そしてものすごい数のレイヤーを自分の頭の中で処理し続けていることに興味が湧いたんです。もちろんそれは自分たちもずっとしてきていることではありますが、より繊細に感じられて、それを描いてみたいと思いましたし、これからも変化し続けていくことだと思います。1つこの時代として描いてみたいと思ったことがきっかけです。

ーーその感覚は特に若い世代に対して思うことなのですか?

山田:若い子たちがそのネイティブで、大人たちはまだ慣れずに違和感が残っている、みたいな感覚ですね。同じようなものではあるのですが、若い子の方がよりナチュラルに(自分の置き所を)使い分けていると思いますし、その分悩みも大きいように感じます。どちらがいいとか悪いとかではなく、生まれもっての環境が彼らを作っているので、それをちょっと勉強してみたいなという感じでした。

ーー今回の作品は、好きなことを好きにやっている子たちを映すというアプローチだと感じました。いまの若い子たちは「好きなことを好き」と言えている世代なのでしょうか?

山田:両方あると思います。それこそSNSで友達に面と向かって言えないことが言えたり、自分の別の人格を作り出したりすることもできるから、身の置き方はいっぱいあると思うんです。ただ、いざ生身の関係性でどれだけそういう話ができるかとなると、もしかしたら難しいのかもしれないし、すごく勇気がいることかもしれない。もしかしたら言えているようで言えてないのでは、というのが自分の見立てでもあります。自由度が高いようでいて、反対の意見も届きやすくなっている気もします。いろんな考えが許されると言われる中で、いろんなことを言えばお叱りも受けるし、熟成させようとする動きが望んでないものになることも多いから、ほっといてほしいと思うことも多いだろうし。私はSNSがだいぶ世の中を“喰っている”と思っているのですが、そんな中で、好きなことを好きだと言って静かにやり遂げていく子たちを肯定したいし、応援したい。簡単な言葉になってしまうけど、型にはまらなくても大丈夫だと思っている。答えは1つじゃない、なぜなら人の形は1つじゃないから。そういうものを描きたかったんです。

カトリック系のミッションスクールが舞台になった理由

ーー本作ではキリスト教が軸にある理由はそうした部分にあるのでしょうか?

山田:今回の舞台はカトリック系のミッションスクールです。しかし、実際には日本のミッション系スクールって生徒の中に信者さんがたくさんいるわけではなく、10パーセントに満たないほど少ないんです。それでもミッション系スクールとして成り立っているのが日本独特な気がして。1つ信じるものを持っている人も認められているし、“信じること”をしていない人も認められているという、その懐の深さはとても日本独特の文化のような気がしています。なので、そのどちらも同居している世界観を描きたかったというか、“規定しない”ことがすごく大事で、こういう考え方もあるんだっていうのが理解しやすいのではないかと思いました。日本には仏教の人もいるし、神道の人もいるし、無神論者の方が1番多いし、みたいな。反対に、いろんな人がいる中で、ひとりで信じるものを信じている子の心の動きを勉強したいという気持ちもありました。なので、何か宗教論を論じたかったとかではなく、いろんな心の方向性があるし、それを認められる、大切にしていける作品にしたかったんです。

ーーその中でシスター日吉子は印象的な“大人”の存在でしたね。

山田:全てを完璧にこなす人などいない、ということの象徴であり、その人のかわいらしさとか魅力みたいなものを表現したかったんです。作品の中では唯一登場する関わり合いのある“大人のひと”です。「(私も)昔はね……」みたいな感じの思いもありつつ、最後ははっちゃけて踊ってるみたいな、そういう人間らしさがある人ってとてもいいなと思ったんです。まだまだ彼女はシスターとしては若い。今回劇中で生徒たちにとった彼女の行動が正しかったかどうかはわからないし、あの後彼女はすごく後悔をしてずっと聖堂にこもるかもしれない。こうしてもっと隙のないシスターが出来上がっていくのかもしれないですが、その“少女・日吉子”が“シスター・日吉子”となっていく道筋みたいな感覚で描きました。

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