エディ・マーフィが哀愁と幸福感を体現 『ビバリーヒルズ・コップ』30年ぶり新作の存在意義

 ハリウッドのレジェンドの一人である、コメディ俳優エディ・マーフィの代名詞といえる映画といえば、日本でも高い人気を誇る『ビバリーヒルズ・コップ』シリーズ。何度も地上波放送されているので、懐かしさとともにそれぞれの作品を思い出す人が少なくないはずだ。

 そんな、エディ・マーフィーを世界的な存在に押し上げ、人気俳優の座を不動のものとしたシリーズから、実に30年ぶりとなる最新作『ビバリーヒルズ・コップ:アクセル・フォーリー』が、配信作品としてリリースされた。

 大きなブランクを経た最新作は必然的に、象徴的な存在といえるシリーズ第1作『ビバリーヒルズ・コップ』(1984年)の精神を感じさせる、原点に戻るかのような内容となった。ここでは、本作『ビバリーヒルズ・コップ:アクセル・フォーリー』がどのような作品だったのかということを、シリーズ作品と比較しながら、できる限り深く読み込んでいきたい。

 『ビバリーヒルズ・コップ』第1作は、まさに“80年代の権化”といえるような一作だった。すでに『48時間』(1982年)で華々しいデビューを飾っていたエディ・マーフィお得意のマシンガントークが炸裂するのはもちろんのこと、特徴的なシンセサイザーのサウンドが前面に出た音楽や、犯罪率の高さで知られるデトロイトとロサンゼルスの富裕な地区という対照的な街の姿を映し出した映像、さらにはマイケル・ジャクソンの『スリラー』ブームをとり入れてもいた。

 おおまかなストーリーは、デトロイト市警に所属する、優秀だが型破りな刑事アクセル・フォーリーが、捜査のためにロサンゼルスの高級住宅街ビバリーヒルズに出向くというもの。工場労働者が多く犯罪率の高い街デトロイトで事件を追っていた主人公が、西海岸の富裕層や芸能関係者が集まる環境に足を運ぶというミスマッチなシチュエーションが面白い。主人公フォーリーは潜入のため、現場で詐欺師のように嘘八百を並べるが、それがビバリーヒルズで次々に通用していくところが笑えるポイントである。この構図や趣向は、全シリーズを通して共通のものだ。

 『ビバリーヒルズ・コップ2』(1987年)は、『トップガン』(1986年)を大ヒットさせたトニー・スコットが監督を務めた。前作の魅力を継続させつつも、鮮やかで陰影の強い、詩的とすらいえる映像表現とパワフルなアクション演出で、明快な娯楽作だった第1作とは異質な印象を与える内容となった。とはいえ、劇中でシルヴェスター・スタローンが話題にのぼるように、この変化は、よりハードなアクション大作が求められるようになってきた時代の反映だとも考えられる。

 このようにシリーズはシンプルな設定を、時代が要請する気分に対応するかたちで表現してきたといえよう。その点では、同じように時代の風俗や時事性をストーリーにとり込んできた『007』シリーズに似たところがあるのだ。

 『ビバリーヒルズ・コップ3』(1994年)は、カリフォルニアの巨大テーマパークを連想させる遊園地を舞台にするといった趣向。『ジュラシック・パーク』(1993年)が大ヒットした翌年に公開された、この作品では、偶然なのか狙ったのか、恐竜のモチーフも登場する。だが、バイオレンスシーンとファミリー的な要素の噛み合わせが悪く、チグハグな印象を受けるところがある。興行的にも芳しくなく、評価が落ちる一作となってしまった。

 作中でもネタにされているウェズリー・スナイプスの台頭だったり、キアヌ・リーブス主演の『スピード』(1994年)が3作目と同年公開で大ヒットするなど、ハリウッド映画が新陳代謝していくなかで、時代を反映していた『ビバリーヒルズ・コップ』シリーズそのものが、時代遅れと見なされていった部分もあったのだろう。シリーズはここでいったん打ち止めとなり、エディ・マーフィ自身も身体を酷使するアクションから降りて、コメディを極める方面へと進んでいくようになった。

 2作目から3作目までの間があいていたところもあり、確かに当時、シリーズに賞味期限切れの印象があったことも確かだ。とはいえ、そこから30年経ったエディ・マーフィーが本作『ビバリーヒルズ・コップ:アクセル・フォーリー』で、まだフォーリーを演じられている様子を見ると、トレードマークでもあるNFLチーム「デトロイト・ライオンズ」のスタジアムジャンパーは微妙に似合わなくなったように感じるものの、劇中で本人が言っているように、驚くような若々しさを保っているのは確かだ。この姿を目にすれば、30年の間にシリーズが全く動いてこなかったことに、誰もがもったいなさを感じたのではないか。

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