『ホールドオーバーズ』はアレクサンダー・ペインの“リベンジ”作 “図らずも”の作法

 タイトル「ホールドオーバーズ(原題:The Holdovers)」とは、「残留者」「遺物」「繰り越し」という意味である。時は1970年12月、ベトナム戦争も末期にさしかかったマサチューセッツ州にある寄宿制の名門男子高校バートン校では、あしたからクリスマス休暇に入ろうとしている。ホリデイに向けて浮き足だつ校内にあって、何人かの生徒がかんばしくない家庭的事情によって、しかたなく校内にとどまり、年越しする模様である。江戸後期の古典落語『居残り佐平次』にちなみ、ここでは、この可哀想な生徒たちを仮に「居残りさん」と名づけておこうと思う。

 迎えに来た家族の車やヘリコプターに乗って、一人また一人と消えていく。取り残された生徒。その保護管理を命じられたはみ出し教師。そして雪に閉ざされる校内で彼らに3食を提供する黒人女性の給食係。彼ら「居残りさん」に共通するのは、大事な何かを喪失した状態にあることだ。全校生徒が体育館に集まった終業式は、ベトナムの戦地で命を落とした卒業生の追悼ミサも兼ねている。そしてこの戦死者の母親こそ、給食係の黒人女性メアリー・ラム(ダヴァイン・ジョイ・ランドルフ)なのである。ダヴァイン・ジョイ・ランドルフは本作のメアリー・ラム役のすばらしい演技によって、今春のアカデミー賞でみごとに助演女優賞を受賞した。

 居残り=身体が残存することと、何かを喪失していること――この2つの事象のからみあいこそが、アレクサンダー・ペイン監督の新作『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』のテーマである。校内は冬季休暇のあいだは暖房が一斉停止するため、「居残りさん」はみな、給食棟の宿直室に集められて寝食を共にすることになる。名門校の広大な敷地にあって、ぽつんと一棟だけで暖房が稼働し、灯りがともる。クリスマスツリーは残念なことに、終業式が済み次第、取引業者が撤収していった。空間内におけるこの極端な偏在性によって、アレクサンダー・ペインは登場人物の心的空洞をも透視している。

 反抗的な男子生徒アンガス・タリー(ロケ先の高校の演劇部部員であるドミニク・セッサが好演)は、母親と南の島でバカンスを過ごすという約束を反故にされ、母親は再婚相手とのハネムーンを優先してしまった。給食係のメアリー・ラムも、保護管理をまかされた教師ポール・ハナム(ポール・ジアマッティ)も、学校以外に行くべき場所がない。メアリー・ラムが言う。「夫も息子も25歳を越えることができずに逝ってしまった」。ポール・ハナムは古代史の専門領域に閉じこもり、家庭を築く機会にも恵まれないまま人間関係というものじたいを喪失している。

 監督のペインはそんな三者のキャスティングについて、成功を強調するとともに、ポール・ハナムの役はポール・ジアマッティへの当て書きだったと話す。

「キャスティングがよかったとしか言いようがありません。ポールとは何年も前に『サイドウェイ』でいっしょに仕事をしたことがありますが、今回の脚本は、彼のために書かれたものです。(脚本家の)デヴィッド(・ヘミングソン)と私はずっと彼のことを考えていました。彼は特別です。彼なら誰だって、たとえば、あなたのことだって演じられると思いますよ!」(オフィシャルインタビューより)

 アレクサンダー・ペインの20年前の作品『サイドウェイ』(2004年)でも、ポール・ジアマッティは孤独に沈む教師を演じた。彼の演じる教師マイルスは離婚による傷心の癒えないまま、カリフォルニア州一帯のワイナリー巡りのために、親友とともに旅をする。人間関係の構築方法を見失った人物として造形され、今回のポール・ハナムはまるで『サイドウェイ』のマイルスの再来のように思える。マイルスは旅によって、いっぽうポール・ハナムは逆に居残りによって、図らずも人間関係構築の方法を回復していく。そしてペイン映画にあっては、この「図らずも」という状況が望ましいのである。

 傷ついた人間、大事なものを喪失した人間は、そうやすやすと愛や、優しさや、幸福感を引き寄せられるわけではない。引き寄せるための恩寵的なスイッチが必要である。切り離された孤島と孤島をくっつけるための無茶な電流が必要である。ペインの映画とは、いつもこの電流を「図らずも」流す装置でありつづけてきた。ただし、その電流装置は必ずしも接着装置というわけではない。ペインの映画では永遠の愛や、家庭の幸福への回帰を約束された試しはないからである。もしかするとペイン映画の登場人物たちは、物語のラストでは物語のスタート地点以上に孤独になっている可能性もある。ただ、電流が流れた後と前とでは、彼らはいくらかは別人に、おそらく好漢に変容している。

 接着装置ではないどころか、むしろペイン映画の電流によって事態がむしろ悪化し、それまでかろうじてつなぎとめられていた人間関係が、完全に破壊されてしまうケースだってある。その破壊ぶりを、悪魔的な哄笑とともに、皮肉な祝祭とともに、カットに刻みつける。そのような装置としてもペイン映画は働いている。おそらく本作『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』も、そうした古びた生活信条の破壊をめぐる祝祭の映画として機能しているのかもしれない。

 だから本作は『サイドウェイ』からさらに遡ること1999年の『Election(生徒会選挙)』(日本未公開/ビデオ発売時にメーカーがいい加減につけた邦題『ハイスクール白書 優等生ギャルに気をつけろ!』の前世紀的、ミソジニックな下品さはなんとかならないのか?)の陰画的なリメイクと考えられなくもない。『ホールドオーバーズ』では反抗的な問題児/独善的な教師/息子を戦死で失った女性が「居残りさん」として年末年始を同居することにより、心的な化学反応が起こっていく。期間限定の擬似家族の形成が、彼らに大きな転機をもたらす。

 それに対して『Election』ではやはり名門高校を舞台にしつつも、優等生の女子学生トレイシー・フリック(リース・ウィザースプーン)と、何度もベストティーチャー賞を表彰されてきた人気教師ジム・マカリスター(マシュー・ブロデリック)の関係は、生徒会選挙をめぐる駆け引きの中で悪化の一途をたどっていく。反抗的な男子学生/優等生の女子学生。嫌われ者の偏屈な教師/生徒の良き相談相手の人気教師……といった正反対のキャラクター設定が、この新旧両作において合わせ鏡のように反射しつつ、四半世紀をへだてた歳差運動によって、摩訶不思議な相似形を描いていく。

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