『虎に翼』はなぜ寅子の“厚かましさ”を描くのか 誰もが“自由”であることへの願い
「正論は見栄や詭弁が混じっていてはだめだ。純度が高ければ高いほど威力を発揮する」
朝ドラことNHK連続テレビ小説『虎に翼』の第11週「女子と小人は養い難し?」での桂場(松山ケンイチ)のセリフが印象的だった。
桂場に言われて寅子(伊藤沙莉)は「自分の正論は純度が低い?」と考える。はたして寅子の純度は低いのか。寅子が家庭裁判所設立準備室に異動を命じられたとき、晴れて家庭裁判所ができたら裁判官にしてほしいと桂場に頼み込んだ。桂場は確約したわけではなかったが、のちに寅子はそう約束したと準備室室長・多岐川(滝藤賢一)に主張する。
良くいえば積極性がある。悪い言い方をすれば厚かましい。この点から考えると、裁判官になりたい大義が淡い寅子は純度が低いのではないかとも思える。だが、ここでは、寅子の純度はむしろ高すぎるほど高い、と考えてみたい。
例えば、寅子が、法学部の同期・ヒャンちゃんこと崔香淑(ハ・ヨンス)と偶然再会したとき、彼女は寅子の同僚・汐見(平埜生成)と結婚し、「香子」と名前を変えていた。
「その名前(チェ・ヒャンスクでヒャンちゃん)で呼ばないで」と香淑は願い、汐見に「私のことは忘れて。寅ちゃんの仕事をがんばって」と伝言する。
香淑の現状には日本と朝鮮の国の問題が横たわっている。香淑がそっとしておいてほしいと言うのも無理のないことだ。でも寅子は「私にできることはないんでしょうか」と考え、
多岐川にないと言われても「助けてほしくてもそう言えない人もいるんじゃないでしょうか」と食い下がる。この態度には、自分の満足が先に立ち、相手のことを考えていないという見方もあるだろう。だが、寅子の気持ちは、香淑が本来の名前で生きることのできない現状に疑問を持ち、なんとか変えたいという思いが先走っているだけとも考えられはしないだろうか。
以前、法学部の同期たちとともに海に行ったとき、母国では崔香淑を「チェ・ヒャンスク」と読むと知って、みんなで「ヒャンちゃん」と呼んだ。はじめてヒャンの本当の名前の呼び方を共有できた瞬間の、寅子たちの笑顔はすてきだった。
他国に行ったら、その国の言葉を学び、使用してみる。「こんにちは」「ありがとう」などのベーシックな挨拶をしてみることは、その国へのリスペクトであり、最低限のマナーでもある。香淑は日本に留学しているとき「サイ・コウシュク」と日本語読みにしていた。いま、香淑は名前を日本名に変え、崔香淑であった過去を知る寅子と距離をとろうとしている。そんなのおかしい、なんとかしたいと寅子の気が急くのも「わかるよ、俺にはわかる」とうなづきたい。これは至極シンプルで真っ当で純度の高いことなのではないだろうか。
誰もがありのままでいられる社会。それこそが、寅子の感動した憲法における平等だ。同じように、他者に遠慮することなく、自分らしくいられることを大事にしようとしている人物がいる。よね(土居志央梨)である。
空襲にあいながらも生き延びたよねは、轟(戸塚純貴)と再会する。花岡(岩田剛典)が、法律を守るために闇物資を固辞したために餓死したことを知った轟は「仕方ない。それがあいつの選んだ道ならば」と聞き分けがいい。だが、よねは強がらなくていいと言う。そして、「惚れてたんだろ」と、轟の花岡への思いは惚れた腫れたの恋愛感情ではないのかと問いかけた。
轟は自分の感情がよくわからないと戸惑うも、過去、花岡に自分が感じた数々の思いをひとつひとつ吐露し、そうすることで素直に花岡の死を悲しんだ。
轟の、花岡に対する深い友情に留めず、自覚はないものの恋愛感情に近いものがあったことを描こうとする意図があったことを、吉田恵里香はオンエアのあと、SNSで手厚く説明していた。轟の描き方や作品外での補足の許容範囲の是非はここでは問わない。ここでは、よねが「腹が立ったら謝る」と言うものの、デリケートなことをいきなり質問する態度について考えたい。
よねもまた、寅子が名前を変えた香淑に感じたように、素直になれない轟にもどかしさを覚え、もっと轟らしくいてほしいと願ったのではないだろうか。
おそらく、轟はこれまで、世間でいうところの「男らしさ」にとらわれていたところがあったはずだ。心は誰よりもやさしくとも、学生時代、外見は髭をはやし、バンカラに振る舞っていた。だから、ここで花岡を思っておいおい泣くなんてことはしてはならないと「仕方ない。それがあいつの選んだ道ならば」と抑制し、同じく、花岡に恋愛のような気持ちを覚えながら、そんなことあってはならないと言い聞かせてきたのではないか。
よねは、他者の目や常識とされていることを気にすることなく、心のまま、亡くなった花岡への感情をいまこそ出すべきだと轟に促した。それができるのは、たとえ試験に落ちようとも男装を絶対に辞めないよねだからこそだ。よねは自分の思いに愚直なまでに忠実だ。
ちなみに、戦争から帰ってきた轟が、以前のような、いわゆる男らしさを強調するような濃い髭をはやしていないことも示唆的に見える。