橋本環奈のツッコミ炸裂! 『赤ずきん、旅の途中で死体と出会う。』異質な作劇がクセになる
“おとぎ話”と“ミステリー”はどこまで共存できるのか? そう考えたときに、10数年前に流行したグリム童話などにまつわる都市伝説を真っ先に思い出してしまうのだが、青柳碧人の連作短編集『赤ずきん、旅の途中で死体と出会う。』は、それらよりももっとポップな手触りをした作品であった。そのなかの一編「ガラスの靴の共犯者」を実写化したのが、短編集のタイトルを拝借した福田雄一監督の映画『赤ずきん、旅の途中で死体と出会う。』である。
この監督の名前を見ただけで多くの人がわかる通り、この映画では“おとぎ話”と“ミステリー”に、さらに福田監督お得意のコメディ――しかも限りなくベタな“ナンセンスコメディ”が融合していく。この3つが混ざり合うといったいどんな化学反応が起こるのか。もちろん“コメディ”と“ミステリー”の共存は、過去の数多の作品によって可能であると証明されているといってもいい。それをもってしてもこの映画の“魔改造っぷり”は、ある意味でありとあらゆる物語全体に向けられた挑戦状のようにも思えてしまうほどだ。
ひとつひとつを分解してみれば、世界観とキャラクター設定を“おとぎ話”が担い、主だったストーリー展開と見せ方の部分を“ミステリー”が担う。そして福田作品である以上、“コメディ”の要素は登場キャラクターたちのインパクトと漫才/コントのような軽妙な掛け合いに全振りしているといっても差し支えないだろう。しかもその“おとぎ話”の部分も、「赤ずきん」と「シンデレラ」という誰もが知っていながら結びつかない2作品のコラボレーションときた。
「赤ずきん」の話といえば、おばあさんに届け物をするために森を歩いていた赤ずきんが、オオカミに遭遇して……という流れが一般的に知られているものであろう。しかし本作における赤ずきんはどういうわけか旅の途中。おばあさんもいなければオオカミもおらず、森で彼女の行く手を阻む障壁となるのは植生している荊棘だけ。そんななかで赤ずきんは突如として現れる魔女とひと漫才繰り広げた末に、しれっと「シンデレラ」の世界への境界線を越えてくるのである。それはまるで、『ドラえもん のび太のドラビアンナイト』で複数の絵本を重ねて“絵本入り込み靴”で飛び込んだ先にあった“ごちゃ混ぜ”の世界観そのものだ。
なんともいえない殺風景な森のなかで、しっかりとコスチュームを着込んだキャラクターたちが、ほとんど福田作品的振り付けのもとで立ち回る。もちろんその点からは、福田のパンチある作風を一気に世に知らしめた『勇者ヨシヒコ』シリーズを想起させられ、同時に舞台劇的でもある。かと思えば、カボチャとネズミが馬車とムロツヨシ演じる御者へと化けるあたりで一気に映像的な作り込みが冴え始め、死体と遭遇するナイトシーンの雰囲気や城の外観とのギャップに驚かされる。『銀魂』シリーズや『新解釈・三國志』でもそうだったが、制作会社クレデウスの作り込みの真摯さは流石である。