『光る君へ』で考える、紫式部が『源氏物語』を生み出した理由 美しい愛と絶望に釘付け

 「山に囲まれた鳥籠」である「都」から飛び出して「海があるところ」に向かおうとしていた、誰より自由な鳥であるところの直秀は、鳥がひしめき合い遺体の物色をする、禍々しい「屍の捨て場」である鳥辺野で最期を迎えた。

 それは、ある意味、自由に空が飛べると信じて疑わなかった直秀、道長、まひろのいわば「青春の終わり」だったのではないか。第1話における「一度飼われた鳥は、外の世界では生きられないのよ」というちやは(国仲涼子)の言葉といい、それでも外の世界を見に飛んで行った鳥がかつて過ごしていた鳥籠の度重なる呈示といい、本作は幾度もその行方知れずの鳥の物語と、警告めいた言葉に立ち戻る。

 彼ら彼女らの生きる世界は、直秀が、貴族たちが意気揚々と闊歩し、庶民が人として扱われない都そのものを「鳥籠」に例えたように、閉塞感に満ちている。そんな中、例外とも言える行動をとるのが直秀であり、まひろだった。

 第2回において、性別を偽り代書屋の仕事をするまひろ。あるいは、第7回において、道長に頼まれ、同世代の貴族たちと肩を並べ、打毬をする直秀。そして、そんな2人を面白がる道長。彼ら彼女らはつかの間、本来許されないはずの、身分や性別の違いを軽々と飛び越え、自由になった。

 でもそのことが物語上掟破りの、まるで分不相応なことをした罰であるかのように、程なく直秀は盗賊として囚われ、道長の前に引きずり出され、やがて命を落とす。その死を目の当たりにしたまひろもまた、父の口癖とも言える「お前が男であったら」という言葉に対し、第9回において「私もこのごろそう思います。男であったなら、勉学にすこぶる励んで、内裏にあがり、世を正します」と答える。自分自身が世を正すことができないならせめて、男性であり、なおかつ「高貴なところに生まれてきた」道長に、「この国を変える」ことを委ねることしかできないまひろの姿。それは、美しい愛の場面に重ねられた、一つの絶望だった。

 越えられない壁として存在する身分や性別の違いを前に、人々は幾度も絶望しながら、鳥籠の外を夢見る。簡単に「縄を切って出ていく」ことができないからこそ、一生懸命、創造と想像の翼をはためかせ、物語を書き続ける。「私が私でいる」ために。それがまひろ、つまりは本作における紫式部の姿なのではないか。また、鳥が逃げたことを哀しむまひろ(落井実結子)に対し、「鳥を鳥籠で飼うのが間違いだ。自在に空を飛んでこそ鳥だ」と答えた三郎(木村皐誠)が、後に道長となり、捕らえられた直秀を解き放ち、流罪という形ではあるが都から逃がしてやろうとしたというのも、変わらぬ一面を見るようで興味深い。

 直秀と道長、2人の人物に「ここを出て一緒にどこか遠くに行こう」と提案されていたまひろは、それを拒み、都という鳥籠にあえて留まり、道長が「政によってこの国を変えていく様を死ぬまで見つめ続ける」ことを選んだ。それが、「やがて千年の時を超えるベストセラー『源氏物語』を書き上げる」ことに繋がっていくのだろう。そしてそのヒントは恐らく、直秀の発した「おかしきことこそめでたけれ」という言葉にあるに違いない。

■放送情報
『光る君へ』
NHK総合にて、毎週日曜20:00〜放送/ 翌週土曜13:05〜再放送
NHK BS・BSP4Kにて、毎週日曜18:00〜放送
NHK BSP4Kにて、毎週日曜12:15〜放送
出演:吉高由里子、柄本佑、黒木華、井浦新、高杉真宙、吉田羊、高畑充希、町田啓太、玉置玲央、板谷由夏、ファーストサマーウイカ、高杉真宙、秋山竜次、三浦翔平、渡辺大知、本郷奏多、ユースケ・サンタマリア、佐々木蔵之介、岸谷五朗、段田安則
作:大石静
音楽:冬野ユミ
語り:伊東敏恵アナウンサー
制作統括:内田ゆき、松園武大
プロデューサー:大越大士、高橋優香子
広報プロデューサー:川口俊介
演出:中島由貴、佐々木善春、中泉慧、黛りんたろうほか
写真提供=NHK

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