『白日青春-生きてこそ-』は意義深い一作に アンソニー・ウォンの人間性に心打たれる

 本作で重要な要素となっているのが、“父親と息子の関係”である。パキスタンでは法律家だったアフメドは、ハッサンを悪の道に進ませないように気を配っているが、成長し続ける息子の行動には手を焼いていた。一方、白日とホンの間にも、考え方の違いや気持ちのすれ違いが影響し、お互いに疎遠な日々が続いている。

 白日はアフメド一家への罪悪感からハッサンを助けようとするが、その過程で、ホンに対して接し方を誤ってしまった過去を思い出し、おそらくは無意識的に、自分の親子関係を重ねているように見える。白日は長年、タクシーの運転を稼業としてきた。だからハッサンに車の運転を教えて、自分の生きてきた術(すべ)を継承しようとするのだ。

 このシーンや親子の設定は、ラウ監督自身の父親との関係が下敷きとなっているという。マレーシアを出て父親と離れてから、ラウ監督は劇中の親子と同じく疎遠になってしまったのだという。そして、トラックドライバーの仕事をしていた父親が、出国する前に唯一教えてくれたのが、車の運転だったのだと語っている。自分の運転で行きたい場所に移動することは、未来への可能性を広げ、生きる力を得ることに繋がる。

 白日はラッキーにも厳しい環境を生き延びて、その名の通りに、なんとか日光を浴びることができた。しかし、より厳しい状況に置かれている人々は、依然として闇の中にいる。白日のせめてもの善行は、そんな闇を照らそうとする行為でもあるのではないか。

 本作では、「白日不到処 青春恰自来」という内容の漢詩が登場する。これは、「日のあたらないところにも 力あふれる春は訪れる」という意味だ。ラウ監督は、本作の登場人物二人それぞれに、「白日」と「青春」の名を与えた。それは、この詩を通して、社会が見過ごしている人々がいることを伝えようという意図があるからだと考えられる。そして、この詩のように、そういう人たちにも、あたたかな時期が訪れてほしいという願望が込められているはずだ。

 そして白日の変化が、彼の実の息子ホンとの関係にもささやかな変化を呼び起こし、互いの心に繋がりが生まれるように、自分のことだけを考える姿勢を変えることは、自分自身の幸せに繋がるということも描いているのだと感じられるのである。

 本作でアンソニー・ウォンが演じた人物は、前述したように、極悪人でもなく、聖人君子でもない。われわれに近い等身大の存在であり、ときに小狡い行動を見せたり、罪の意識にさいなまれるような小市民である。そして、そんな人物が主人公であるからこそ、そして彼が変化を見せるからこそ、観客がそれぞれの立場で、自分の家族や社会について考えるきっかけになり得るのではないか。

 その意味において、この役を引き受けたアンソニー・ウォンの人間性に心打たれるとともに、演技という行為の重要性にも気づかされるのだ。平凡な人間のなかに渦巻く複雑な葛藤と変化……それを見せることで、観客の心を深いところで揺り動かしてくれる本作のような演技こそ、じつは俳優にとって、ヒーローを演じる以上に挑戦する値打ちのある仕事なのだと思えるのである。

映画『白日青春-生きてこそ-』予告編

■公開情報
『白日青春-生きてこそ-』
シネマカリテほかにて公開中
出演:アンソニー・ウォン、サハル・ザマン、エンディ・チョウ、インダージート・シン キランジート・ギル
監督・脚本:ラウ・コックルイ
撮影監督:リョン・ミンカイ
プロデューサー:ヴィーノッド・セクハー、ソイ・チェン、ウィニー・ツァン、ピーター・ヤム
配給:武蔵野エンタテインメント
2022年/香港・シンガポール/広東語・ウルドゥ語/カラー/DCP/シネマスコープ/ステレオ/111分/原題:白日青春/英題:The Sunny Side of the Street/日本語字幕:橋本裕充/字幕協力:大阪アジアン映画祭/PG12
PETRA Films Pte Ltd ©2022
公式サイト:hs-ikite-movie.musashino-k.jp
公式X(旧Twitter):@hs_ikite_movie

関連記事