ピーター・バラカンが観た『NOLLY ソープオペラの女王』 現代日本にも通じるTV界の問題点

 イギリスで1964年から1988年にかけて放送された、モーテルを舞台にしたソープオペラ『クロスローズ』。国民的人気番組で主役メグを演じた伝説の女優ノエル・ゴードンの晩年を、実話を基に描く全3話の伝記ドラマ『NOLLY ソープオペラの女王』(以下、『NOLLY』)が、スターチャンネルEXで独占配信中だ。2024年1月よりBS10 スターチャンネルでも放送開始する。

 ノリーの愛称で親しまれた彼女が、約18年も看板スターとして番組の人気を名実共に牽引していたにもかかわらず、突然解雇されてしまう。1980年代当時のイギリスのテレビ黄金時代を背景に、世界で初めてカラーテレビに登場した女性として、圧倒的な男性社会であった英国テレビ界のパイオニア的な存在としてキャリアを築いてきた彼女に、何が起きたのか? そして、どう生きたのか?

 生涯独身を貫き、パワフルに人生を謳歌したノリーを好演するのは英国を代表する演技派俳優のヘレナ・ボナム=カーター。脚本・製作総指揮を務めるのは、『IT’S A SIN 哀しみの天使たち』などの傑作ドラマで知られるラッセル・T・デイヴィス。当時のイギリスのTV事情を知るピーター・バラカンに、自らのTV出演の経験にも重なるという『NOLLY』について話を聞いた。

テレビの出演者として共鳴するシーンも

ーーまず、本作をご覧になっていかがでしたか?

ピーター・バラカン(以下、バラカン):面白かったですね。実際に舞台になっているのは1980年代ですが、ドラマが始まったのは1960年代。当時本人はフェミニストであるという意識はなかったかもしれませんが、女性として、また出演者として、テレビ番組の撮影現場でノリーのように自分の意見を強く主張するというのは、おそらく画期的なことだったろうと思います。

ーー突然の降板劇の始まりとして、『クロスローズ』のプロデューサー、ジャック・バートンに強い口調でノリーが意見を口にする場面が描かれますね。

バラカン:そう。僕が初めてテレビに出たのは、ちょうと彼女がクビになった頃の1980年代で、それまでラジオを少しやっていて、ラジオも基本的にディレクターが番組を作っていたのですが、テレビの出演者は本当に台本を読むだけという感じでした。僕は全くそれを知らなくて、音楽番組で自分が当然選曲できると思っていたのに、最初は全然選曲もさせてもらえなくて、「こういうもんなの?」ってちょっと愕然としたんですよ。それでも2年後ぐらいには、割と好きなように喋りたいことを喋れるようになって自分で選曲できるようにもなったんですけど、初めてテレビに出た時は本当にショックでしたね。テレビというのは完全にプロデューサーの媒体だということが、よくわかりました。『クロスローズ』という番組も、ジャックというプロデューサーの思惑通りに進む番組だったのでしょう。これは洋の東西を問わず、テレビとはそういうものなんだということを改めてドラマを観ながら感じました。だから出演者として、ノリーがプロデューサーに歯向かうというのは、おお、やるなあと(笑)。

ピーター・バラカン

ーーご自身の経験が思い出されて? 

バラカン:まあ、心の中では言いたかったけど言えなかったこととか(笑)。僕の経験から言うと、出演者としては、なぜここまで泣き寝入りしなければならないのかというのは、おそらく誰でもあると思いますよ。僕も以前出演した番組で、海外の視聴者から観ればナショナリズム丸出しみたいなコメントが台本に書いてあって、「ごめんなさい、僕の口からこんなことは言えない」と反発したことがありました。ディレクターやプロデューサーはむっとしていましたが(笑)。

ーー自分たちが与える役割を喜んで演じてくれる人が求められているんですよね。それに対して、毅然とした態度で異を唱えたという。

バラカン:僕は若干パンクなのかもしれない(笑)。でもね、自分でものを考える能力のある人は大勢いるわけだから、そういう人たちはテレビで通用しないという話になると、「だったらテレビって媒体は何のためにあるの?」ってなりますよ。

ーーそれはまさに、今の日本のテレビの状況を端的に表している言葉かもしれませんね。

バラカン:ノーコメント(笑)。

ーーでもお話を聞いていると、1980年代のイギリスの保守的かつ男性優位のテレビ業界で、ノリーはすごいことをやっていた女性なのだなと改めて思いました。

バラカン:時代も時代ですしね。バーミンガムのTV局で、ロンドンから離れれば離れるほど、保守的な傾向は強くなる。それはどこの国でも同じことかもしれません。20年近くもノリーは看板スターとして番組の支柱であり、本人も自分の影響力をわかっていた。実際に、あの番組の中で彼女が主張していたことは正しいことが多かったんだろうと思います。プロデューサーって、結構マンネリに気づかないことがあるから。一方で、常に視聴者の方を向いて番組をどうすれば喜ばれるかということを考えているノリーは、本能的にこれはこうした方がいいとわかる人だったのかなと想像します。ジャックは、まあ究極の視聴率至上主義の典型的なプロデューサーですよね。

ーー当時、アメリカで1978年から始まった富豪家の骨肉の争いを描いた『ダラス』が視聴率50%を超えるという脅威的な数字を叩き出していました。劇中、ジャックが「打倒『ダラス』」と息巻くシーンがありますが、当の『クロスローズ』の勢いが下降気味。そんな中、ノリーの降板をめぐりジャックが取った残酷な言動に対して、ノリーが「私が男だったら同じことをやった?」と問いただすセリフには、すごく現代的な視点がありますよね。

バラカン:今のイギリスでもこういうことはいまだにあるかな。ないとは言い切れないよね。日本だったら十分あり得る。

ーー悲しいですね。

バラカン:そりゃ悲しいですよ。そういう意味では日本の社会の変化の仕方は遅いですよね。今でも大企業の役員に女性が入っていないと、海外の投資家集団が投資しないといった話も出ているけれど、そう言いながらも日本の企業はなかなか女性を役員や重役に起用するペースは遅い。やっと今、一部の会社で女性の管理職を育てるような仕組みを作っているようなところがありますが、まだまだヨーロッパとかアメリカの比ではないですから。

ーー一方で、ノリーは男性社会において直面した自身のキャリアや恋愛における理不尽な現実に恨み節もありつつ、被害者一辺倒に描かれているわけではないところもまた現代的と言いますか。長く権力のある立場にいる人の、ある種の慢心のようなものもあったかもしれない。男性が上の地位に立つことが多いから必然的に男性のそれが目立つわけですが、もちろん女性でもあるよなあとは思いました。

バラカン:そう、そこはラッセル・T・デイヴィスの脚本がとてもうまいと思った。バランスがいいんですよね。ノリーは番組関係者のみんなに尊敬されているし、愛されてもいる。しかし、ついにはプロデューサーよりも発言権を持つようになるというのは、番組としてちょっと危ないという側面もある。一人の人間の発言が、すべてをひっくり返せるというのも危険な状況だとは思います。

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