チリの独裁者ピノチェトが吸血鬼だったら…… パブロ・ラライン『伯爵』の見事な風刺精神

パブロ・ラライン『伯爵』の見事な風刺精神

 次々と映像作品が配信されているNetflix。その膨大なタイトルのなかに、人知れずとんでもないものが、とくに大きな宣伝もされないまま、ひっそりと紛れ込んでいる場合がある。とくに今回配信が始まった新作『伯爵』は、コアな映画ファンを中心に、多くの観客に観てほしい、注目すべき映画作品だ。ここでは、そんな本作『伯爵』について、熱く語っていきたい。

 「伯爵」。まず、そのシンプルな邦題(日本版のタイトル)がいい。これはチリの映画作品であり、スペイン語の原題である“El Conde”を日本語に直訳したものに過ぎないのだが、近年の劇場公開作においてこのように、それだけでは内容が全く想像できないような、シンプル過ぎる日本語のタイトルで勝負しているものは、かなり珍しいといえる。

 もともと日本における映画の宣伝では、「惹句」、つまりはキャッチコピーが、観客の興味を喚起させる役割を果たしてきたが、とくに洋画作品が低調な状態にある、いまの日本の映画市場では、タイトルの部分でも宣伝側が頭をひねり、ローカライズによる工夫をおこなうケースが少なくない。そんなときに、突如として現れた映画の邦題が、「伯爵」。……この、「炙っただけのイカを食っていけ」とでもいうような、ざっかけない姿勢には痺れざるを得ない。

 ドイツ語の“Der Student von Prag”(1913年)をそのまま邦題『プラーグの大学生』(日本公開1914年)とし、フランス語の“Le Plaisir”(1952年)をそのまま邦題『快楽』(日本公開1953年)と名づける。日本語に直訳しただけなのだが、そこには観客の知性や洋画を観ることへの能動性に対する、ある意味での信頼が存在しているように思う。

 だからといって、Netflixが同様の見解を日本の視聴者に持っているというわけではないのではないか。「アートフィルム」に分類されるだろう『伯爵』が、タイトルを改変したところで、日本の視聴数が急激に上がるという見通しが立つわけもない。だからこその、ある意味ぞんざいといえるシンプルなタイトル……これが一周回って、かつての日本における洋画の邦題に似通っているところに、複雑な感慨を覚えるのである。とはいえ、そんなことは本作『伯爵』そのものには何のかかわりもない話だ。感慨を覚えつつも、ここからは本作の驚くべき内容に注目していきたい。

 チリには、アウグスト・ピノチェトという、独裁的な権力者が存在した。彼は軍人としてめざましい出世を成し遂げ、陸軍総司令官にまでなるが、1973年に軍事クーデターを起こし、政権を打倒してしまう。そして新たに独裁的な軍事政権を樹立し、翌年に自ら大統領に就任。1990年まで強権を振るうこととなった。その時代には、多くの市民が逮捕、拷問、虐殺され、行方不明者が続出。夥しい数の本が焚書される事態にも陥った。まさに恐怖政治だ。

 先日、このピノチェト政権の時代に生まれ育った、アニメーション映画『オオカミの家』(2018年)のクリストバル・レオン&ホアキン・コシーニャ監督に話を聞く機会があったのだが、やはり当時は、二人とも子どもながら抑圧的な空気を感じていたと語っていた。そんな経験が、『オオカミの家』の暗い内容や世界観に影響を及ぼしている部分があるのだという。

 ことほど左様に、チリという国にとってピノチェトがつけた傷口は痛ましいものだった。本作の監督、パブロ・ララインもまた、過去作『トニー・マネロ』(2008年)という、名作映画『サタデー・ナイト・フィーバー』(1977年)でジョン・トラボルタが演じたキャラクターに憧れる中年男の姿を通して、ピノチェト独裁政権の暗黒時代をユニークなかたちで題材としている。

 今回の『伯爵』では、“伯爵”とも一部で呼ばれていたというピノチェトの正体が、じつはドラキュラ伯爵のような吸血鬼であり、人間の生き血をすすりながら時代を超えて生き続けてきた存在だったのだという、ある種ファンタジックな解釈で物語が描かれていく。まさにピノチェトは、簒奪者として市民の“生き血をすする”、恐ろしい怪物だったという表現である。

 実際のピノチェトは2006年に死去しているが、それは見せかけの死であり、彼はその後も生き延びているという設定。そして妻や子どもたちの一族は、ピノチェトの財産を相続しようと狙っている状態だ。そんな一族が集った屋敷に、カルメンという修道女が、悪魔祓い(エクソシスト)として送り込まれることで、物語は大きく展開していく。

 『エデンより彼方に』(2002年)、『キャロル』(2015年)などで撮影を手掛けた、エドワード・ラックマンによる撮影は非常に美しい。とくに夜のビル群を吸血鬼が飛翔するシーンや、停留した船に降り立つシーンには息を呑むものがある。

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