『ばらかもん』が示した“傷ついた大人の立ち直り方” みんなの“一声”が清舟を解き放つ

『ばらかもん』が示した“大人の立ち直り方”

 子どもも大人も同じように傷つきつまずき、立ち止まってはまた歩き出す、それぞれにそれぞれの場所できばりながら。そんな五島での何気ない、だけれどもう二度と戻らない清舟(杉野遥亮)となる(宮崎莉里沙)たちの“いつも通り”の日々が描かれた『ばらかもん』(フジテレビ系)最終話。

 偉大な書道家である父を持ち、その立ちはだかる壁のような大きな存在に悩んでいた清舟が、反抗心からでも自暴自棄でもなく、本当の“自分らしさ”を手にした。島の人たちや子どもたちに見守られながら、先生である自分も書道家としての自分も、どちらも損なわれることなくエネルギーを解放していく清舟に出会えた。

 そんな成長や脱皮が見られたのはなるも同じだ。父親の優一郎(岡田義徳)から送られてきたスマホを眺めるだけで自分からは電話しようとしないなるの様子を見て、清舟は「待ってるんじゃないかな、父と呼べるチャンスを」と彼女の気持ちを慮っていた。幼少期から父親の背中を追ってきた清舟も、きっと無邪気に父親に甘えた記憶などないのではないだろうか。だからこそ、なる親子の少しぎこちなく思える関係性や距離感に身に覚えがあるのだろう。

 そんななるから父親への微妙な距離感や遠慮を打ち破ったのもまた美和(豊嶋花)が父親を想う気持ちだった。優一郎から仕事を紹介され、酒屋を畳んでタンカー船に乗るという父親のことを心配し、寂しいと涙する美和。いくつになっても人は脆く傷つくし、泣きたくなることだってある。大人だって受け入れ難いことはあるし、いつだって物分かり良くもいられない。肝心なところで素直になれないことだってある。本作はなるよりも、むしろ美和や清舟の方が弱いところを見せ、時に人前で涙を流す。大人も迷うし悩む。自信が持てないこともある。

 そんな大人の葛藤を近くで見られたなるたち子どもはある意味幸運だと思う。巷に溢れる後付けのサクセスストーリーなど興味はなく、本当に子どもが知りたいことは“失敗”からの立ち直り方だろう。“失敗”したって“遠回り”したって怖くはない、人は何度だってやり直せるし、最終的にそれが“失敗”で“遠回り”だったかなんて実のところわからない。そのことを体当たりで真近で見せてくれた清舟は、彼らにとって紛れもない「先生」だっただろう。

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