『竜そば』『サマーウォーズ』『デジモン』 細田守監督作品から読み解く情報社会の変遷
ヒッピー文化と結びついたアメリカの情報技術革命
情報技術誕生の中心地であるアメリカでは、AIなどの情報技術への関心が日本とは大きく異なっている。アメリカで、パーソナルコンピュータやインターネットなどの情報技術革命の精神的支柱を担ったのは、細田のふた回りほど上、なんといっても日本の団塊の世代や全共闘世代にほぼ重なるヒッピー世代(ベビーブーマー世代)の人々だった。その代表的存在が、彼自身がヒッピーであり、スチュアート・ブランドが創刊した『ホール・アース・カタログ』を愛読する傍ら、21歳でAppleを創業し、MacやiPod、iPhone、iPadなどの革新的なデバイスを次々と世に送り出した1955年生まれのスティーブ・ジョブズだろう。あるいは、『サマーウォーズ』や『竜そば』のメタバースのルーツになる「サイバースペース」という概念を普及させたサイバーパンクSFの傑作『ニューロマンサー』(1984年)の著者、1948年生まれのSF作家ウィリアム・ギブスンもヒッピーだった(ちなみに「メタバース」という用語もニール・スティーヴンスンのポストサイバーパンクSF『スノウ・クラッシュ』が元ネタ)。
映像分野で言えば、ルーカスフィルムや「ILM」を設立、代表作のスペースオペラ『スター・ウォーズ』シリーズ(1977年〜)でアメリカ映画(「ハリウッド映画」、ではないところがポイント)のデジタル技術を飛躍的に発展させた1944年生まれのジョージ・ルーカスが当てはまる。
すでにいろいろ論じられているように、アメリカのいわゆる「シリコンバレー精神」(梅田望夫)とは、近代由来の既成権力や保守的な価値観からの脱却を標榜し、新しいライフスタイルを模索したヒッピー・ムーブメントに象徴される対抗文化(カウンター・カルチャー)と絶えず密接に関わってきた。
そこでは、彼らが「スクウェア」と呼んだ旧来の民衆を抑圧する権威や価値観と、それに束縛されないリバタリアン的な「個人」が対比され、後者の可能性が積極的に肯定される。あるいは、古い近代社会が重視してきた合理主義的な「理性」や「知性」に対して、LSDなどのドラッグやフリーセックス、スローフードなどの「感情」や「自然」が盛んに称揚される。
その時に、ヒッピーたちが注目したのが、新たな情報技術だった。彼らはそれを対抗文化の精神を技術的に実装(現実化)するものと捉えたのだ。例えば、「いま・ここ」のユーザの意識を、情報ネットワークを通じてグローバル(いま・ここではないどこか)に拡大・接続するサイバースペース(情報空間)は、当時、ドラッグによる「変性意識」(意識の拡大)になぞらえられた。抽象的な理性ではなく、子どもでも使える感覚的・感情的な要素の重視ということでは、後にジョブズが採用することになるアラン・ケイの開発したグラフィカル・ユーザ・インターフェイス(GUI)、さらにはずっと先のこと、スマホのタッチパネルの開発にも結実している。以上のような1960年代の対抗文化をめぐるアメリカの精神史的文脈を踏まえていないと、ジョブズが、なぜ企業や大学といった機関(権力)だけが使える「メインフレーム」を否定して、個人が自由に使えるパーソナル・コンピュータを商用化しようと企図したのか、ルーカスが、なぜ巨大で抑圧的な「銀河帝国」に抵抗して、情念的な「フォース」を操る主人公も含む「反乱軍」の戦いを描こうとしたのか、本当の意味では理解できないだろう(ルーカスが物語の着想源としたジョゼフ・キャンベルもヒッピーの愛読書である)。
しかしながら、日本のIT文化では、アメリカからこうした技術が輸入されてきた時に、当然のことながら、外形的なテクノロジーだけが取り入れられて、その背景にある以上のような文化史的文脈はすっぽり抜け落ちてしまったのだった。ちなみにその点では、補助線として入れると興味深いのが、1951年生まれ、まさにヒッピー世代と重なる団塊の世代に属する押井守だろう。押井もまた、代表作の『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(1995年)や『イノセンス』(2004年)に象徴されるように、一貫して情報技術に高い関心を持つクリエイターである。
日本型情報社会における細田世代の意味
結論をいうと、アメリカでのヒッピー世代のような意味を情報技術に対して担ったのが、日本では、おそらく細田の属する主に1960年代半ば生まれのバブル世代(からそのすぐ下の新海を含む団塊ジュニア世代まで)だったのではないだろうか。
この世代の人々は、少年時代に『スター・ウォーズ』に触れ、ハイティーンでギブスンらのサイバーパンクブームに出会い、20代でパソコン通信やインターネット(Windows 95)のインパクトを経験するという、人格形成期の節目でデジタル文化や情報技術の重要な革新に居合わせた。1967年生まれの細田とほぼ同世代である、1965年生まれの三木谷浩史にせよ、あるいはその少し下の、新海誠と年齢は近いが、1972年生まれの堀江貴文にせよ、1973年生まれの藤田晋にせよ、2000年代以降のドットコム・バブルを担うカリスマ起業家たちは、実は、アメリカから20年遅れで、ルーカスやジョブズの位置を担っていた人物だったと理解したほうがよい(堀江の反体制的・反権力的なスタンスはヒッピーと似ていた)。言論の場で言えば、堀江や藤田と同世代で、90年代からサイバースペース論(『サイバースペースはなぜそう呼ばれるか』河出書房新社)やアーキテクチャ論(『情報自由論』中央公論新社)などの情報社会論で積極的に発言し、『一般意志2.0』(講談社文庫)などの著作もある哲学者の東浩紀の存在も含まれるだろう。
そして、その東の存在がこれまた象徴的なように、いわゆるこの「日本型IT=対抗文化世代」の文化的背景には、彼らの10〜20代である1980年代に台頭してきたアニメやゲームなどのオタク文化の影響が大きいと考えられる。
例えば、その具体的な事例となるのが、2000年代のオタク文化の一部で流行した「セカイ系」だ。かつてライターの飯田一史が論じたように(「セカイ系とシリコンバレー精神」、限界小説研究会編『社会は存在しない』南雲堂所収)、セカイ系的想像力の特徴は、実はヒッピー文化と結びついたシリコンバレー精神と共通している。しかも、当時、セカイ系を積極的に評価した右の東浩紀をはじめ、セカイ系の代表作といわれた3作品(『最終兵器彼女』『イリヤの空、UFOの夏』『ほしのこえ』)を手掛けた高橋しん、秋山瑞人、新海誠もまた、細田と同じバブル世代から団塊ジュニアにかけての生まれだった。そう考えると、直接的に情報技術を描いてはいなくとも、「セカイ系」とも関連して語られることの多かったタイムリープものの『時をかける少女』(2006年)も近い文脈で論じることができるだろう。
もしくは、音楽ジャーナリストの柴那典がかつて『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』(太田出版)で提示した見取り図も思い起こされる。柴は、2007年における初音ミクの登場を、1967年のヒッピー文化における「ファースト・サマー・オブ・ラブ」、1980年代後半のレイヴ文化における「セカンド・サマー・オブ・ラブ」に続く、「サード・サマー・オブ・ラブ」と見立てている。この柴の図式も、60年代のヒッピー文化と関わる情報技術革命の影響を受けて、80年代に青春を送り、2000年代に本格的な活躍を始めた細田の半生とぴったり重なるものである(細田の『時かけ』と初音ミクは1年違いだ)。また、『竜そば』の歌姫ベルは、初音ミクのイメージも少し入っている。
あるいは、こうした傾向は日本に限らず、東アジアである程度普遍的なものなのかもしれない。例えば、細田ら日本のバブル世代とほぼ同じ韓国のいわゆる「386世代」も、韓国社会のIT化を推し進めた中心的世代と評されることがあるように、似たような特徴を持っている。
もちろん、これは粗い見取り図でツッコミどころはいろいろある。だが、仮に以上のように文脈を立てると、戦後日本のアニメ史において、なぜ細田守がAIを含めた情報技術を繰り返し自作の中心的な主題にするのかがなんとなく見えてくるように思われる。
最後にまとめれば、細田の情報技術や情報社会の描き方は、テクノロジー(ロボットや兵器)に対する屈折した思いも濃密に表現した先行世代の手塚や宮﨑らと比較すると、総じてポジティヴで楽観的である。それは繰り返すように、やはり対抗文化と結びついたアメリカのシリコンバレー文化の日本版という世代的要因が大きいのだろう。しかし、とはいっても、例えば彼を世代的に挟む形になる、押井守や新海誠のように、ヒッピーのような反体制的、あるいは非合法的な価値観やイデオロギーに対するシンパシーは、細田には一切存在しない。高校全共闘だった押井とは対極的に、細田はあくまでも公共性に資するものとして情報技術や情報社会を評価し、描き出そうとしているところが特徴だろう。
おそらく今後、細田もAIを本格的に取り上げた作品を作りそうだが、以上に示した見取り図も頭に入れながら鑑賞すると面白いかもしれない。
参照
※「竜とそばかすの姫・細田守 三たびネット社会描く理由 細田守監督インタビュー(上)」(NIKKEI STYLE)