『どうする家康』杉野遥亮&板垣李光人が放つ勇将としての風格 気になる石川数正の言葉も

『どうする家康』躍動する徳川四天王たち

 『どうする家康』(NHK総合)第32回「小牧長久手の激闘」。秀吉(ムロツヨシ)が陣を構える楽田城一帯は10万もの大軍で埋め尽くされた。対する家康(松本潤)の本陣はその正面わずか1里半(約6キロメートル)の小牧山城である。両軍のにらみ合いが続く中、徳川勢は秀吉を揺さぶりつつ、城の周辺に謎の堀をつくり始める。池田恒興(徳重聡)が「中入り」という戦法を献上し、秀吉軍は進軍を開始するが、それこそが家康の狙いであった。

 家康と家臣たちは軍議を重ね、本多正信(松山ケンイチ)は秀吉軍の中入りを看破し、榊原康政(杉野遥亮)は中入り勢をたたく奇策を考えついた。家康は出陣前に、家臣たちにこう語りかけた。

「弱く、臆病であったこのわしがなぜここまでやってこられたのか……。今川義元に学び、織田信長に鍛えられ、武田信玄から兵法を学び取ったからじゃ。そして何より、よき家臣たちに恵まれたからにほかならぬ」

 よき家臣たち、中でも徳川四天王として名を連ねる4人は小牧・長久手の戦いにおいて力を発揮した。守るための堀と見せかけ、抜け道を作らせた榊原康政はこの戦いに最も貢献したといえる。井伊家の誇りを胸に家康を支える井伊直政(板垣李光人)は、旧武田勢を率いて敵を撃滅した。勝利あるのみと闘志をみなぎらせ続けていた本多忠勝(山田裕貴)は、亡き叔父・忠真(波岡一喜)の意志をつぎ、小勢で秀吉本軍を迎え討った。そして幾多の戦を越えてきた酒井忠次(大森南朋)は家臣団の大黒柱として徳川勢の士気を高める。

 特に、第32回では康政の存在が強く印象に残った。第2回で初めて登場した際は、大樹寺の木の上で昼寝をしていた康政だが、小姓として家康に仕えた後、第6回「続・瀬名奪還作戦」の上ノ郷城攻めの際、同い年の猛将・忠勝に対する野心をむき出しにして戦いに参加する。数々の戦の中で康政は忠勝を超えようと努めてきた。そんな康政は秀吉軍との戦いを前に忠勝にこう言った。

「お主に追いつき、追い越すのが私の望みであった。……が、どうやら戦場ではかなわないらしい。ならば、せめておつむを鍛えるほかなかろう」

 知略で家康を支える人物といえば、イカサマ師と呼ばれる正信が思い浮かぶ。だが康政は、常識にとらわれない発想の持ち主である正信とは異なるタイプの策士へと成長した。自分の物差しを持つ康政は家臣団が議論する場面でいつも、他の家臣たちの意見を傾聴しながらも、冷静沈着な佇まいではっきりと意見する。康政が意見する際、感情的になっている印象はあまりないが、康政の鋭いまなざしは、忠勝同様、勝利への闘志を感じさせる。康政は「殿を天下人にするまでは死ぬわけにはいかん」と言った忠勝の顔をじっと見たまま、静かに頷いた。忠勝を見据える康政の面持ちは力強く、頼もしさがあった。

 忠勝に対し「戦場ではかなわないらしい」と言った康政だが、三河中入り勢を攻め込む康政は忠勝に負けず劣らず猛々しい。「悪逆非道の秀吉に思い知らせてやれ!」「すり潰せ〜!」と声を張り上げ、勇猛果敢に槍を振るう姿は雄々しく、知勇を兼ね備えた武将としての魅力をいかんなく発揮していた。

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