『劇場版アイドリッシュセブン』から“推し”文化を考える ライブアニメが持つ演劇性

ライブアニメの「演劇性」

 実は私は、こうしたインターフェイス的でタッチパネル的な表象モデルの性質を、かつて行った講演で現代の演劇、それも2.5次元舞台を例に敷衍して説明したことがある。ここでの詳述は控えるが、上述したようなことは、ライブアニメ(アイドルアニメ)よりも、むしろ2.5次元舞台のような「拡張現実的」なライブパフォーマンスにこそ当てはまると思われるのである。事実、先ほども私は『劇場版アイナナ』の映像を、通常の映画やアニメのような「表象」ではなく、まさに演劇のような「現前」という用語で形容した。

 そのことにも関連して、ここで短く、一つの論点を提示して終わりたい。本作のようなアイドルアニメ=ライブアニメとも親和性の高い現代の映画館における応援上映をめぐって歴史的・理論的に考察した宮原義康は、応援上映を鑑賞中の観客の受容の機制を分析する際に、アメリカの美術批評家マイケル・フリードが提起した「没入absorption」という有名な概念を参照する(「映画観客の視点 : 非-没入の空間としての応援上映」、『境界を越えて : 比較文明学の現在』第23号、立教比較文明学会、147頁以下)。

 フリードのいう「没入」とは、18世紀半ばからフランスの絵画批評で重視されるようになった概念であり、18世紀のシャルダンが描いた『トランプの城』などのように、画中の人物が何らかの行為に熱中(=「没入absorption」)し、観者の視線を排除することで成立している作品を表した言葉である。フリードはこの用語を用いて、現代のアンソニー・カロやデイヴィッド・スミスの絵画や彫刻を肯定的に評価した。これに対して、フリードはドナルド・ジャッド、ロバート・モリス、ソル・ルウィットといった1960年代のミニマリズム(リテラリズム)の美術作家(彫刻家)たちのオブジェ作品を、一様に作品に「観者」の視点を導入し、それに従属することで、観賞される「作品」(=客体)と観賞する「主体」という関係が成立しており、それがモダニズム芸術の要諦である芸術作品の「自立性」を損なうものとして厳しく批判した。

 興味深いのは、『没入と演劇性』という主著のタイトルからもわかる通り、フリードがそうした後者の性質を「演劇性theatricality」と呼んで批判したことである。しばしば映画理論の分野で観客のスクリーンへの感情移入(同一化)の機制が問題となるように、通常の映画においてまさにスクリーンへの「没入」のあり方が重要になるのだとすれば、「自分だけでも対象だけでも成立しない、それらの『関係性』」を描き出す『劇場版アイナナ』の映像は、「推し活」的でタッチパネル的であるだけでなく、フリードのいう意味でも優れて「演劇的」でもあるだろう。なるほど、フリードは演劇性の特徴の一つに「正面性」を見出していたが、それはすでに触れたように、まさに『劇場版アイナナ』の映像的特徴でもあった。この点においても、私が「ポストシネマ」と呼ぶ、今日の映画の変容が表れている。

 そして、ごく簡単に示した以上の見取り図は、現代の映画批評にいまだ大きな存在感を示す映画批評家の蓮實重彦の、ドン・シーゲル監督『殺し屋ネルソン』(1957年)を語る比較的最近の以下の言葉とも深く結びついている。

好きな作品でも、そこにふと映画から拒否されているという瞬間があることへの感覚の鈍い人間に、映画を語る資格はない。たしかに映画は集団的な体験ではありながら、その見知らぬ群衆のなかでいかに自分が孤立化する瞬間があるかということを体験しえないひとなど、いっさい信頼することができません。みんなと一緒に拍手していればいいというような連中は、醜い民主主義者でしかない。興奮している未知の仲間と共感しあうことが、真の映画的な体験なのではありません。何も意図して孤独を求めても意味はありませんが、ふと孤立している自分に目覚めたことのないひとたちは、映画に接近すべきでない。その醜い民主主義者たちが、『シン・ゴジラ』を見て、映画は集団的な体験だというかのようにみんなで手を叩いている。
(『ショットとは何か』講談社、41-42頁)

 蓮實のいう「真の映画的な体験」だという「見知らぬ群衆のなかで」「ふと孤立している自分に目覚め」ることとは、「興奮している未知の仲間」の存在などと徹底して隔絶した「没入」の体験に違いない。そして、彼がいささか挑発的に「醜い民主主義者たち」と名指す対象こそ、「推し」との接触を「演劇的」に享受する『劇場版アイナナ』の応援上映の観客(ファン)たちだろう。

 この蓮實の価値判断を肯定するか否定するかは、いまは問わない。ただ少なくとも、私にとって『劇場版アイナナ』はポストシネマをめぐって広がる営みと思考を活性化させつつクリアにする重要な結節点になっている。

■公開情報
『劇場版アイドリッシュセブン LIVE 4bit BEYOND THE PERiOD』
全国公開中
原作:バンダイナムコオンライン・都志見文太
監督:錦織博・山本健介
脚本:都志見文太
キャラクター原案:種村有菜
CGチーフディレクター:井野元英二
キャラクターデザイン:宮崎瞳
美術ボード:大久保錦一
色彩設計:三笠修
総撮影監督・ルック開発:若林優
編集:瀧川三智・須藤瞳・仙土真希・山岸歩奈実
編集スーパーバイザー:西山茂
音楽制作:ランティス
音響監督:濱野高年
制作:オレンジ
製作:劇場版アイナナ製作委員会
配給:バンダイナムコフィルムワークス・バンダイナムコオンライン・東映
声の出演:小野賢章、増田俊樹、白井悠介、代永翼、KENN、阿部敦、江口拓也、羽多野渉、斉藤壮馬、佐藤拓也、保志総一朗、立花慎之介、広瀬裕也、木村昴、西山宏太朗、近藤隆
©BNOI/劇場版アイナナ製作委員会
公式サイト:https://idolish7.com/film-btp/
公式Twitter:@iD7_film_btp

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