『罠の戦争』草彅剛が体現する“正義”と“悪” 権力に染まってしまった鷲津は元に戻れるのか

『罠の戦争』草彅剛が体現する正義と悪

「ボクのおとうさんは、桃太郎というやつに殺されました」

 2013年度の「新聞広告クリエーティブコンテスト」で最優秀賞に選ばれたコピーに出会った時、価値観がグッと広がったような気がした。

 私たちは幼いころから、『アンパンマン』や『ウルトラマン』などのヒーローものを通して、正義の味方が悪を懲らしめる姿を見てきたが、本当にそれで“めでたしめでたし”なのだろうか。退治された悪にも守るべき家族がいて、大事に思ってくれる人がいるかもしれない。ちょっと視点を変えてみるだけで、正義が悪に反転する可能性があるから恐ろしい。

 3月27日に最終回を迎える『罠の戦争』(カンテレ・フジテレビ系)でも、似たようなことが巻き起こっている。これまでは、鷲津(草彅剛)があの手この手で権力者たちを失脚させていく様子を、「痛快だなぁ」と思いながら見ていた。しかし、度を超えた正義感は、時に誰かを傷つける武器となる。

「誰かのために、善を成す。でも、そのためにはもっと力が必要になる。いくつかの善を重ねるうちに、いつかそれが悪と呼ばれるようになる」

 鶴巻(岸部一徳)が放ったこの言葉が、今の鷲津の状況を顕著に表しているように思う。

 最初はただ、息子の泰生(白鳥晴都)を突き落とした犯人を探すために、奔走していただけだった。それなのに、犯人が鴨井(片平なぎさ)の息子だと分かっても、鷲津の戦いは終わらない。本当だったら、鴨井を大臣から引きずり下ろした時点で、この件を終わりにしてもよかったはずなのに。

 “権力”というものは、一度手に入れてしまえば「もっともっと」となってしまうものなのだろうか。

 もちろん、権力者を倒すためには、それ以上の権力を持たなければならない。そんなことは、分かっている。でも、今の鷲津の姿はヒーローでもなんでもない。自分には正義があると思っているのかもしれないが、権力を手に入れるためならなんでもする今の彼は、あれほど憎んでいた犬飼(本田博太郎)となんら変わらない。だからこそ、悔しい。こんなはずじゃなかったのに……と思ってしまう。

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