横浜流星が客席を丸ごと包み込む“武蔵の狂気” 『巌流島』でかつてない存在感

 2月10日に幕を開けた舞台『巌流島』。映画『ヴィレッジ』の公開が4月21日に控える横浜流星が宮本武蔵、歌舞伎俳優・中村隼人が佐々木小次郎に扮し、脚本をマキノノゾミ、演出を堤幸彦という『真田十勇士』のコンビが務める。3月27日の福岡公演まで続く旅を控えた2月9日、本作の公開ゲネプロ(本番と同じ条件で行われるリハーサル)が東京・明治座にて行われた。本稿ではその第一幕の内容をレポートしつつ、作品の魅力について考えていきたい。

 もともと舞台『巌流島』は、2020年7~9月にかけて上演予定だったもの。しかし、主演の横浜が新型コロナウイルスに感染したことを受け、全公演が中止に。スタッフ・キャストを一部変更し、約3年のときを経てようやく実現した。本番前日・ゲネプロ当日に行われた記者会見の場で横浜は「あのときの申し訳ない気持ちや悔しい想いをしっかりと晴らしたい」と気合をにじませ「新たなキャスト、そして監督も加わって、確実にパワーアップした作品になっていると自信をもって言えます。期待して待っていてください」と呼びかけた。

 その『巌流島』は、若き宮本武蔵と佐々木小次郎の初めての出会いから、巌流島での決闘までを描く物語。2幕構成になっており、第1幕は武蔵と小次郎の出会いと共闘、第2幕は別々の道を歩む両者の再会と巌流島の戦いが展開する。歴史劇ではあるものの「強さを求める武芸者ふたりの冒険」がストレートかつエネルギッシュに描かれ、予備知識がなくとも追いていかれることなく楽しめる設計だ。

 かつ、剛の武蔵、柔の小次郎といった具合に“キャラ付け”も明快で、ノータイムで各々の信念や性格が理解できる。武蔵は他を寄せ付けない孤高の人であり、小次郎は和を重んじる人格者。前者は己の武芸を極めた先にある“最強”を求め、後者は手柄をあげて“御家再興”を目標に掲げる。つまり自分のために生きる武蔵と、他者のために生きる小次郎というコントラストが効いており、初登場シーンから「主君に斬られそうな仲間をかばう小次郎」と、そこに現れて「わしは誰の指図も受けん」とその主君を切り伏せる武蔵が対照的に描かれる。

 両者の戦闘スタイルも性格とリンクしており、武蔵は「豪剣」と評されるようにどこまでも荒々しく「押す」戦法を用い、小次郎は優雅に相手を「いなす」駆け引きの猛者。セリフ、ビジュアル、殺陣――様々な視覚&聴覚情報で“真逆のライバル”感が強調されており、物語・登場人物ともに非常に入りやすい。かつ、1対多数の切った張ったの大立ち回りもふんだんに盛り込まれており、スロー演出や背景に設置されたモニターの使い方含めて、観る者を選ばぬエンタメ大作という印象だ。

 その体現者として皆を引っ張るのが、主役を張る横浜流星。そして中村隼人だ。『巌流島』は舞台の上手・下手から現れた武蔵と小次郎が交錯し、振り返るや否や激しい殺陣を披露するシーンから始まるが、前述の会見で堤監督が「役に対する情熱が凄まじい」と評したように横浜・中村が発する生のエネルギーがバチバチとぶつかり合う。横浜の「舞台上で生きるのみ」という言葉の意味を、開始直後からまざまざと見せつけられるのだ。

 横浜は類まれな身体能力を持つファイターであり、映画『きみの瞳が問いかけている』やドラマ『DCU』(TBS系)でもキレのあるアクションを見せてきたが、これまでの印象は「シャープ」だったのではないか。しかし『巌流島』では、彼が持つ俊敏さは「ここぞ」という場面まで隠されており、悠々と肩で風を切って歩くような「分厚さ」が目を引く。客席に背を向ける形で登場し、ゆっくりと振り返る演出や、戦闘時に腕ひとつで複数の敵を圧倒する猛々しさ含めて、存在感がかつてない大きさにまで成長しているのだ。

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