「アニメは実写に、実写はアニメになる」第9回

『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』は“実写映画”なのか 提示された“新しい現実”

 実写とアニメーションの境界は、今日の映像世界では限りなく曖昧になっている。

 ジェームズ・キャメロン監督の『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』(以下、『アバター:WoW』)は、その究極だ。これは実写か、アニメーションか。

 結論から言えば、「面白ければどっちでもいいだろ」なのだけど、全く新しい世界を創造したこのシリーズは、映像のあり方についても新たなステージを示していると言える。

 本作は、パンドラと呼ばれる惑星のナヴィと呼ばれる種族たちの物語だ。地球人だった主人公ジェイク・サリーは、今作では終始ナヴィ族として活動する。すでに生まれた時に持っていた肉体は捨て去り、魂だけをナヴィの肉体(アバター)に移して生きているわけだが、この外見の可変可能性を示唆する物語そのものが映画の制作方法とリンクしている。技術とナラティブが一体の作品であり、この物語を語るには、この技術であるべきだという信念がキャメロンにはあったのではないか。

 ならば、制作方法を詳しく検討していかなければ本作を正しく理解することは難しい。

 人間とナヴィ、両界の境界に位置する登場人物たち同様、本作は実写とアニメーションの境界上に位置しているように見える。そして、いよいよ両者の差異を論じること自体を無意味にするかのような作品が生まれたと言えるかもしれない。

モーションキャプチャはオスカーによると“アニメーションではない”?

 本作は、よく知られているようにモーションキャプチャが用いられている。俳優の動き、表情変化の筋肉の動きまで細かくデータ化して、3DCGキャラクターに反映させるこの技術自体は、実写作品でもアニメーション作品でもたくさん活用される。

 本作についても、様々なメイキング映像や専門家による解説がすでに出ているので、詳しい技術的説明はそれらに譲りたい。ここで論じたいのは、モーションキャプチャという技術はアニメーション技術か否かだ。

 13年前の前作『アバター』も今回同様、モーションキャプチャを駆使して制作された。上記の議論は13年前のアカデミー賞にとって大きな関心の的だったと考えられる。

 アカデミー賞長編アニメーション部門にノミネートされるためには、いくつか条件を満たさねばならない。『アバター』とモーションキャプチャについて考える時には、これが示唆を与えてくれる。以前書いた筆者の記事から引用する。以下は、アカデミー賞の公式ルールから長編アニメーション部門の条件をリスト化したものだ。

1:運動とキャラクターのパフォーマンスが「frame-by-frame(コマ撮り)」のテクニックで作られていること
2:手描きに限らず、コンピューター・アニメーション、ストップモーション、クレイ(粘土)アニメーション、ピクシレーション、切り紙アニメーション、ピンスクリーン、コマ撮りのカレイドスコープなど、様々な手法が対象となる
3:モーションキャプチャ―とパペット操作を駆使しているだけではアニメーションとは見なさない
4:40分以上の作品が長編、それ以下の長さの作品は短編となる
5:アニメーションパートが全体の75%以上ではくてはならない
6:主要キャラクターがアニメーションで描かれていなくてならない
7:実写と見間違うような映画的なスタイルで制作された作品の場合、実写ではなくアニメーション作品であることの根拠となる情報を提出すること
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なぜ“実写部門”がないのか? アカデミー賞で考える、実写とアニメーションの弁証法

アカデミー賞の季節がやってきた。  今年は、濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』が日本映画として初めて作品賞にノミネートされ…

 ルールの3番にモーションキャプチャによる作品は、それだけではアニメーションと見なさないとある。これにならい、『アバター』は大部分がCGによる作りだったにもかかわらず、アニメーション部門にノミネートすることなく作品賞本選の有力候補となった。

 実はこの3番のルールは、『アバター』公開の年に新たに設けられた条件だ。この新ルールが『アバター』のために設けられたかどうかはわからない。だが、その前年にアカデミー長編アニメーション賞を受賞したのは、モーションキャプチャを活用した『ハッピー フィート』だった。

 アカデミー賞の長い歴史でアニメーション作品が作品賞を受賞したことはない。アニメーション映画であっても作品賞ノミネートは可能で、実際にいくつかの作品が過去にノミネートしているが、賞レースでは苦戦する。その意味で、『アバター』はこのルール変更でアニメーション映画と見なされずにすんだので、作品賞レースを戦いやすくなったのは確かだろう。

 モーションキャプチャによる演技作りは、生身の俳優の芝居を基に制作する。その意味で、コマ撮りテクニックとは異なるため、アニメーションではないと言えるかもしれない。だが、前作当時の技術では、実際には俳優から得たデータだけでナヴィの演技を構成できたわけではない。実際にスタッフはこう証言している。

「キャプチャーした表情の演技を、そのままぴったりキャラクターにはめ込めるというのが、誰もが思い描く理想です」

 アニメーション・ディレクターのアンディ・ジョーンズは言う。

「でも、実際にはそんなことはあり得ません。アニメーターが特に重要な役割をはたすのは、フェイシャル。キャプチャーで見落とされた唇の震えや眉毛のわずかな動きなどのディテールを見つけ出し、付け加える動きです」(※2)

 13年間でモーションキャプチャ技術も進化し、アニメーターの手作業に頼らざるを得なかった部分もより微細な動きまで反映させることが可能になっているようだ。その意味で、モーションキャプチャ技術は、ますます正確に生身の俳優の動きをトレスできるようになったことで実写の芝居作りに近づいたと言える。

 それでも、ナヴィは人間と身体の作りが異なる。わかりやすい部分では、尻尾ととんがった耳だ。これらの動きにもキャラクターの感情が反映されている。緊張するシーンでは、耳が立つし、ソワソワしているシーンではしっぽの動きがせわしくなる。これらの身体パーツは、人間と異なる部分だけに動きがかなり目立つ。耳の位置が人間よりも高く、目と同じ高さにあるために目線を合わせると必ず耳も視界に入ってくるので、観客にとってキャラクターの感情を読み取る重要なパーツになっている。

 これらの人間には存在しないパーツの動きは、ほとんどCGアニメーターたちの作業に負っていると思われ、その意味で、ナヴィの芝居は俳優の力だけで構成されているわけではない。俳優たちの動きとアニメーターのセンスのハイブリッドで構成されているのだ。

 アカデミー賞は、モーションキャプチャをアニメーションではないとしているが、その芝居作りにはアニメーションの要素が確実に入り込んでいる。『アバター:WoW』は、前作以上に生身の人間の登場数が少なく、メインキャラクターの大半がナヴィだ。その意味で、メインキャラクターたちの芝居の多くの部分をアニメーターもまた担っているのである。

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