『チェンソーマン』デンジが学ぶ性欲と“親密さ”の違い 心理描写を深める多様な接写に注目

 願いの叶ったデンジが悟った、恐怖と真理。『チェンソーマン』第5話「銃の悪魔」は、情報量が多い回になりつつも、彼がマキマから一つの道徳を学ぶ点が印象的だった。

『チェンソーマン』第5話「銃の悪魔」予告&先行カット公開 デンジとマキマがキス寸前

テレビ東京系ほかにて放送中のTVアニメ『チェンソーマン』第5話の予告映像と先行カットが公開された。   『少年ジャンプ+』…

 前回からのクリフハンガーになっていた、パワーの胸もみ。映像はトイレの換気扇の接写から始まり、狭いトイレの空間的、およびいざ胸を揉める状況になったデンジの心理的な切迫感を感じさせる。とにかく第5話にはクローズアップが多用されているのが特徴的だ。パワーの胸、デンジの瞳。パワーの胸を揉む最中にパッドが落ち、それを拾う瞬間のデンジの目の揺れが、目の前の現実をうまく処理できていない彼の動揺を細かく表している。映像化において、キャラクターの心情をカメラワークでより強調させるのが、アニメ版『チェンソーマン』の良いところだと思う。そして、その細かさは注意を払って画面を見るほど理解できるようになっている。デンジがマキマの胸を触った後、ひっくり返って触った胸を見ながらも、もう片方の手が苦しそうに胸元を抑えている仕草とか、弟に雪をぶつけられ、文句を言いながらも雪合戦をする子供時代のアキの口元が笑っているとか。

 ことペース配分においても、これまでの数話で何となく方針が見えてきた。前回の日常シーン、今回のマキマとデンジのシーンなど、静かなシークエンスは徹底的にスローで丁寧に描き、動きのあるシーンで一気に物語を進める。改めて、アニメ『チェンソーマン』が“静”を“動”で表現することを意識していることに気付かされた。

 そのマキマとデンジのシーンだが、ここでもマキマの手、瞳、デンジの顔など接写が多い。それはマキマの説く“インティマシー(親密さ)”に呼応しているかのようだ。デンジはこれまで、「女とデートしたい」「女を抱きたい」「胸を揉みたい」という夢を掲げてきた。しかし、それは“誰と”は関係ないもので、純粋な性欲(リビドー)だ。ところが、彼はその欲求をパワーの胸揉みで解消できると思ったのに、できなかった。それはつまり、彼が本当に求めているものが単なる不特定多数に対する性的欲求の解消ではなく、誰か個人との関係性における温もり、親密さの先にある性的な行為だったことを表している。

「えっちなことはね、相手のことを理解すればするほど気持ち良くなると思うんだ相手の心を理解するのは難しいことだから」

 この時のマキマの手の動き、滑らかさの肌感、セリフと共に動く口元などかなり扇情的である一方で、彼女の上記の言葉はデンジに道徳を教えている。時間をかけて構築した関係性の中で、相手の人となりを知り、理解していくことの大切さ。インティマシーを求めることに慣れていない現代の若年層の男性に向けて、週刊少年誌で連載されたこの作品が送ったこのメッセージの意味は、とても深い。

 ずっと追いかけてきたものをやっと掴んだデンジが「しかし、追いかけてきたものは俺が思ったより大したことがなく、追いかけてきた頃の方が幸せに思えるんじゃないか」と愚痴るセリフも少しドキッとさせられるくらい、核心をついている。血がいっぱい出るし、胸を揉むとか、ベロチューとか、とんでもないことをやっていそうで『チェンソーマン』という作品は、大人になって生きることにおける真意をいくつもはらんでいる。むしろ、非道徳的に道徳を描くからこそ、胸に訴えかけるものがあるのかもしれない。

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