『ちむどんどん』仲間由紀恵が流した涙の意味 終わらない戦争と“幸せになる”というテーマ

 『ちむどんどん』(NHK総合)第74話。ウークイの夜に優子(仲間由紀恵)の話は続く。1946年、賢三(桜田通)と再会した優子(優希美青)は、やんばるで身を寄せ合うように暮らし始める。空襲で祖父母は亡くなり、両親と姉は行方がわからず、ただ一人の肉親である弟の秀夫(阿久津慶人)は病死。「泣くことも笑うこともできなくなっていた」優子は、賢三に家族の思い出を話してほしいと頼まれて涙があふれ出る。「家族の分まで幸せになってくれ」という賢三の言葉に頷く優子。「この人と家族になりたい。2人で生きていきたい」と思った瞬間だった。

 遺骨収集に携わる理由にも触れられた。優子の両親と姉は「今でもどこかの山の中に」眠っている。そう思うとたまらなかった。そんな時、田良島(山中崇)の書いた嘉手刈(津嘉山正種)の記事を読み、遺骨収集を手伝うことに。優子は「遺品の一つもないといつまでも気持ちが割り切れなくて、辛くてたまらない」と遺族の思いを代弁する。同じような思いをしている人のためにと思ったのだ。

 同じ頃、鶴見の「あまゆ」では、田良島が三郎(片岡鶴太郎)と杯を交わしていた。「沖縄で戦死した兄は骨も戻ってこなかった。今でも沖縄の山のどこかにいるんです」と田良島。当時10歳だった田良島は、「兄がどうして死んだのかわからず泣きました。大人になったらわかるのかなって。でも、今でもわかんないんです」と心情を吐露。田良島が嘉手刈を取材したのは、死んだ兄のことが頭にあったからだ。家族を失った優子と賢三は、田良島の記事がきっかけで遺骨収集に携わるようになった。房子(原田美枝子)も遺骨収集の活動を援助していた。それぞれが消えない戦争の記憶を抱いており、その記憶によってつながっていた。

 優子が家族の話をすることは賢三との約束でもあった。歌子(上白石萌歌)に今まで黙っていた理由を聞かれて、「怖くてたまらなかった」、「おかしくなってしまいそうで、秀夫のこと思い出すと。この腕の中で冷たくなった」と一つ一つ絞り出すように言葉を継いだ。「うちだけこんなして食べていていいのか。生きていていいのか」と声を詰まらせる優子。若くして逝った弟のことを考えると今なお後悔の念が押し寄せ、自責の念に駆られる。「終わっていないわけ、私の戦争は。いつまでたっても」と涙ながらに語った。

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