去る者と残される者の“生きる姿” 優しさに満ちた『39歳』が穏やかに迎えた最終話
「痛みを分け合えたらいいのに」。いくらそう願ったところで、変わってあげることはできない。チャニョンの苦痛を分け合いたいミジョ。ミジョを残して去るのが心配でたまらないチャニョン。“何もしてあげられない”のは、苦しみでもあるのだ。けれど、“何かしてあげたい”と想えるのは生きているからこそ、なのである。こうして、ゆっくりと穏やかに最終話を迎えた。
他人に対して毅然なのに自分のことに弱気なのは、チャニョンだけに言えるとも限らない。誰もが“自分事”だからこそ進めない恐怖を抱いている。チャニョンがひとりで遺影を撮りに行き、笑顔の写真を撮れなかった時の気持ち。訃報先のリストを作成した時の気持ち。結局、本当のところは本人にしかわからないのである。
私たちは想像するしかできないから、「つらいよね」と言葉をかけたり、そっと抱きしめたりして慰め合うのだろう。チャン・ジュヒがチャニョンの笑顔の写真を撮るのに一生懸命になり、ミジョがチャニョンの訃報先のリストを一緒にご飯を食べたい人を集めた“ブランチリスト”に変えたように。
ミジョとキム・ジンソクにいくつかの約束を残したチャニョン。ジンソクには、クリスマスになったらツリーを飾り、春が来たら花を植えることを。ミジョにはチャニョンの両親に毎年誕生日プレゼントを用意し、2週間おきにジンソクを誘って皆でサムギョプサルを食べることを。自分がいなくなっても悲しみから立ち直れるように、生きていくための宿題を残したのかもしれない。
誰かの死を体験した人は、「自分が死んだらどうなるのだろう…...」とチャニョンのように死後の世界を考えた経験があるのではないだろうか。タイトルにもなっている「39歳」とは、祖父母や親戚の死、両親の死などを通して、人間いつかは死んでしまうものだと一度は体感したことがある年齢とも言える。それがまさか40歳を迎えてもいない自分の身、20年来の親友に起きることだってあり得る……。近くて遠いはずの悲しみが、突然降りかかってきたのが本作の始まりだった。
この作品に共感を覚えたのは、人生の折り返し地点にいる彼らをごく自然に演じていた俳優たちに、今の自分、あるいは過去の自分、または未来の自分を重ねてしまったからだろう。なかでも、チャニョンを演じたチョン・ミドは、ドラマ『賢い医師生活』のイメージを引きずることなく、チャニョンのキャラクターの持つ気さくさ、芯の強さ、人が抱える弱さをしっかりと魅せた。
チャニョンが“世界で一番楽しい旅立ち”ができたのかはわかない。ここまでの過程も思い通りにはいかないことの方が多かった。けれども確かだったのは、誰かが誰かのために生きていた、生きていること。そして、一分一秒を惜しみたくても無常に過ぎる時間に、時には励まされること。ミジョの言葉通り、つらいことも楽しいことも風のように過ぎ去っていく。
『39歳』では、去る者、残される者の“生きる姿”が描かれていた。「いつか、その時」はやってこないかもしれないこと。いざ感謝を伝えたくても、うまく表現できないこと。大切な人たちと見る雪が心をあったかくしてくれるから季節を越えられること。50歳、60歳、70歳......。誰かと一緒に年を取れることがどれだけ幸せなのか。当たり前すぎて忘れてしまった、気づけなかったものを思い出させてくれる、本作にはそんな優しさがあった。
本当のお別れが悲しいのは、もう二度と会えないから。チャニョンの声に温もりを感じられないし、チャニョンの書いた文字が増えることはない。これからも寂しくてたまらない時間がやってくるだろう。それでも、チャニョンがいない空間に慣れなくてもいいのだと思う。チャニョンに「会いたい」と恋しがるのは、チャニョンがミジョたちの心にいるのだから。私たちが生きている証拠なのだから。
あなたは、このドラマを観て誰の顔を思い浮かべ、会いたくなっただろうか。
■配信情報
『39歳』
Netflixにて独占配信中
(写真はJTBC公式サイトより)