脚本家・吉田恵里香が『恋せぬふたり』で大切にしたもの 「次の一歩に繋がるドラマに」

“普通”を押し付けるキャラたちへの賛否に感じた、世の中への希望

――オンエアのたびに「カズくん(濱正悟)」が毎回トレンドに入ったり、咲子の妹・みのり(北香那)の言動に議論が巻き起こったりと、いわゆるマジョリティ側のキャラクターからも目が離せません。

吉田:彼らを描くときには、まず念頭に視聴者と同じ目線に立つ必要があるなと思っていました。加えて、無意識に「誰かに恋をすることが当たり前」「性的な欲求を抱くことが当たり前」と思っている人たちが、無自覚に誰かを傷つけたり価値観を押し付けたりしているのを見せていく必要があったので、どうしても善人と悪人の両面を出していかなければならなくて。それが愛されるキャラになるのか難しいところでした。でも、考えてみれば誰しもが良い面と悪い面を持っていて、そのどちらの面を見ているかという差なだけな気もするんですよね。特にカズくんは「最終的には愛されるけど、最初は嫌われちゃうかもしれないな」とは思っていたんですけど、思った以上に賛否が分かれていて(笑)。でも、それって世の中的にはいいことなのかなとも思いました。まだ希望があるんじゃないかって。知らなかっただけで過剰な悪人ではなかったカズくんが、いろいろなことを知って変わっていく。もちろん自分を傷つける相手に対して「対話するなんて無理!」と遠ざけることは悪いことではないです。けれど、わからないだけでわかってもらえたら、溝みたいなものが埋まるかもしれないよっていう希望になるんじゃないかなって。

――たしかに、カズくんは第5話あたりでブワッと好感度を取り返しましたね(笑)。

吉田:当初オンエアを観てカズくんにかなりの苦手意識を持っていた友人からも「カズくんいいやつだったんだね。ごめんね」ってLINEが来たので、「よかったー」って思いました(笑)。

――ある意味で、カズくんみたいなタイプの人に対して「話しても変わらない」といった、こちら側の偏見があったかもしれないという感情にもなりました。

吉田:それはあると思っていて。例えば、距離感が近くて「ちょっと嫌だな」と思う人がいたとして、「ちょっと距離感近いよ」と言ったら意外と素直に直してくれることもあるじゃないですか。今は思ったことをなかなか直接口に出せない世の中だけど、歩み寄れるかどうかって対話してみないとわからない。世の中、どんなことでもそうだと私は思っていて。そこをカズくんに込めたところもあります。とはいえ、現実の当事者にその役目を担わせて、傷つくリスクも背負って「対話して歩み寄りなさいよ」なんて言いたくない。だから、ドラマというフィクションの世界で、見せていきたいのだと思います。

――変化していったカズくんに対して、みのりの言動はまだまだ波乱を巻き起こしそうですね。

吉田:そうですね。ただ、 実は世の中の多くの人がみのりの心を持っているんじゃないかなとも思っていて。そこに対して「イラッとするというのもどうなんだろう」って考えてもらいたいキャラクターでもあるんですよね。誰かと恋愛をして、結婚をして、子どもを生むことそのものは悪いことではないし、それもひとつの幸せの形なのだから、彼女を否定するのもおかしいよねって。

――個人的に第6話で、みのりが人生ゲームを指しながら「次は結婚、次は子育て、マイホーム……」と話すシーンは、20代のころに友だちが結婚・出産したときに“人生すごろくの2コマ先に行っちゃったな”みたいな寂しさを覚えたことを思い出しました。

吉田:私もやっぱり20代のときは漠然と、女性として結婚への焦りとかを持っていたんですよね。ただ、その気持ちも否定したくはなくて。世の中がということもあるし、それがその人にとっての幸せの形なんだから、それを否定することもないと。当たり前のことなんですけど、みんなそれぞれ苦しみ、悩みもある。それをわかってもらえたらなと思いました。妻が妊娠中に夫が浮気する……という話も、悲しいけれど“あるある”として存在しているじゃないですか。子どもや生活のことを考えるとすぐに別れを選択するのも難しい、かといって許すとなったら自分で自分を納得させなくちゃいけない。マジョリティのど真ん中を歩いているように見える人だって、それぞれいろいろなものを抱えている。そんな苦しみまで描けたらいいなと思っています。

少ないからといって、世の中に「ない」ものとして扱われる理不尽さ

――吉田さんから出てくる「否定したくない」という言葉が先ほどから印象的だなと思っているのですが、そうした考えが強くなった理由や原風景といったものがあったのでしょうか?

吉田:そうですね。私の母が英会話学校をやっているんですけど、そこで外国籍の方もいらっしゃったので、いろいろなバックグラウンドを持った方と触れてきたというのも大きかったかもしれません。いろいろな人種、いろいろな恋愛的性的指向の方がいると、ごく自然に知ったように思います。それから私の住んでいる地域で、児童養護施設に入所している子を週末だけ家に招く制度があったり、知り合いの子が家庭の事情で施設に入ったこともあったりで、様々な家庭環境の子供たちをみてきました。自分の身の回りにいる人たちが世の中にいないものとして扱われている、なんだかおかしいな、と幼い頃から感じていたところもありました。

――やはり知る機会があったのですね。

吉田:それこそ、きっかけと環境だと思うんですよね。例えば小学校の授業とかで、もっといろいろな人がいることを伝えられたらいいと思うんですけど、「じゃあ、今日はアロマンティック・アセクシュアルの方に来ていただきました」みたいなこともなかなかできないし、そもそもそれが正しいのかどうかもわからないし。でも、少ないからといって「いないもの」にされてしまう。その理不尽さというのが、もっと浸透していったら世の中もう少し変わるんじゃないかなとは思っています。でも、自分に何ができるのかと問われると、ちょっとまだ答えがでないですね。何かしたい、何かできないかなとはいつも思っていますが。

――脚本家としてのターニングポイントはありますか?

吉田:それまでも、ぼんやりとマイノリティにまつわる物語を書きたいと思っていたんですが、どうすればいいのかがわからず。それこそ企画は通らないし、面倒くさがられたし、極端な話「このまま仕事がなくなるかも」なんて思っていて(笑)。そんなときサブで入った『DOUBLE DECKER! ダグ&キリル』というアニメがあったんです。登場人物たちがほぼ誰も恋愛していないんですよ。「俺モテてるな」とかはあるんですけど、基本勘違いで。そのなかで同性愛の話にもちょっと触れる機会があって。「あ、ちゃんとマイノリティへのメッセージを込めつつ、エンタメにできるじゃん」「“お勉強”にしなくても、誰かに届けることができるんじゃないか」と思えた作品となりました。今振り返れば、それがターニングポイントといえるかもしれないです。それがあったから『チェリまほ』でも藤崎さんというキャラクターを提案できたと思いますし。もちろん原作者の先生がOKしてくださったというのが一番大きいんですが、あのアニメがなければその提案をしようとも思わなかったな、と。

――なるほど。吉田さんご自身は、生きづらさを感じる場面はありますか?

吉田:基本的に好きなことをやらせてもらっているし、人の運もいいな、ツイてるほうだなって思って生きているんですけど、だからこそ「好きなことをやっているんだから、何を言われてもいいだろう」みたいな感じで傷つけられる言葉が飛んでくることはありましたね。今は世の中のことが少しわかってきたからか抵抗力がつきましたが、若い頃は生きにくいなと感じたことはありましたね。若い女性ならではの悩みも多々ありました。被害を受ける側にならないとわからない痛みとか絶対あると思うので、作家という職業上、そういう意味ではいろいろと知ることができたのかなって。難しいですよね、生き方の正解は人それぞれだから。生きづらさを自分で改善できる場合もあるけど、できない場合もある。正しく生きることができない環境に生まれ育ってしまうというケースもある。これからも私の作風や生き方・主張、私自身が好かれなかったり、批判をされたりすることはあると思います。でも自分が伝えたい、この1点だけでも届けたい、みたいな気持ちを持つことは間違っていないと思うので、生きづらくても、もうちょっと頑張ろうかなとは思っています(笑)。

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