『ドライブ・マイ・カー』オスカー躍進5つの理由 世界の映画業界の時流と世相を反映
3. 批評家のオピニオンリーダーとしての面目躍如
前述の『ROMA/ローマ』、『パラサイト』、そして『ノマドランド』と『ドライブ・マイ・カー』の決定的な違いは、オピニオンリーダーの存在だ。映画製作に関わる業界人の人気に支えられた『ROMA/ローマ』や、全世界興行成績の約2割にあたる5,337万ドル(約61億円)を北米市場で稼ぎ一般市民にまで人気が行き届いた『パラサイト』がアカデミー賞で注目されたのに対し、『ドライブ・マイ・カー』は徹底的に批評家の好評を集中させ、各地の批評家賞を席巻した。NY批評家協会賞は50名、LA批評家協会賞は70名、全米映画批評家協会賞はNYやLAの批評家も重なった60名によって選ばれている。アカデミー賞の1万人に比べると比較的少人数が選ぶ賞なので、他の協会賞より根回しがしやすい。たとえ数名が選んだ賞であっても受賞結果は同等にニュース記事のヘッドラインに並ぶ。映画業界で働く多忙なAMPAS会員が業界紙の見出しを眺めていても、『ドライブ・マイ・カー』の作品名を目にした機会は多いはずだ。さらには、それらの記事を書く記者たちも各批評家協会の構成員である。
村上春樹の短編小説が原作であることは、アメリカの観客が『ドライブ・マイ・カー』を知るきっかけの一つにはなるが、業界関係者の評価の本質ではないと筆者は考えている。アメリカでジャーナリスト・批評家を名乗っている有識者にとって村上春樹はもはや一般教養のようなもの。主人公が演じるサミュエル・ベケットの戯曲『ゴドーを待ちながら』や、劇中劇で本読みからワークショップ、実際の舞台に至る間の関係変化が見られるアントン・チェーホフの戯曲『ワーニャ伯父さん』といった、同じく一般教養の戯曲が村上春樹のナラティブと重なり、流れるような脚本と演出で構成されているところが批評家の自尊心をくすぐり高評が集まったのだと思う。
また、昨今は映画の評価をめぐり批評家と観客の対立も起きている。第91回で作品賞を含む5部門ノミネート、ラミ・マレックが主演男優賞を受賞した『ボヘミアン・ラプソディ』(2018年)は、批評家と観客の見解が乖離したが、観客動員数・興行収入では大成功を収めた作品だった。信頼を失いかけていた批評家はそろそろ面目躍如、アカデミー賞への影響力を示したがっていた気運もあるのだろう。批評集約サイトのRotten Tomatoesでは、アカデミー賞ノミネート作のバロット(投票用紙)に、プロフェッショナル批評家と一般観客の評価を%で示している。(※3)
乖離が激しい作品としては、『ロスト・ドーター』(マギー・ギレンホール監督)が批評家95%に対し観客48%、『リコリス・ピザ』(ポール・トーマス・アンダーソン監督)が批評家91%に対し観客67%、『ドント・ルック・アップ』(アダム・マッケイ監督)が批評家56%に対し観客78%、『ハウス・オブ・グッチ』が批評家63%に対し観客83%となっている。作品賞候補の中で最も批評家の評価が高いのは、『ドライブ・マイ・カー』の98%(観客82%)。もっとも、現時点の北米興行成績で最高額の『DUNE/デューン 砂の惑星』は1億793万ドル(約124億円)で批評家83%(観客90%)、最も低い『ドライブ・マイ・カー』は157万ドル(約1億8,000万円)だが、全世界興行収入の約37%を北米市場が占めている。ノミネート時点では1億ドル未満だった全米興行収入がわずか2週間で1.5倍になったのは驚くべき勢いを感じる(興行成績はBox Office Mojo調べ)。批評家と観客の支持率の違いが、最大のsnub(冷遇)と言われたレディー・ガガ(『ハウス・オブ・グッチ』)やレオナルド・ディカプリオ(『ドント・ルック・アップ』)のノミネーション落ちの理由として考えられる。
そもそも2009年に作品賞候補を5作品から最大10作品に増やしたのは、評価を受けやすい作家主義的作品に加えて、ボックスオフィスを賑わすような人気作も取り入れたいという思惑があった。AMPASの運営や賞レースを支えているテレビ放映権との兼ね合いで、視聴率を考慮しなくてはならないからだ。2019年には、商業映画を賞レースに取り込むことを想定した「最も人気のある映画」部門を設ける案が出たが、批評家や会員からの反発を受け実施までは至らなかった。そして2022年、アカデミー賞はまたもや迷走企画を立ち上げた。Twitterによるファン人気投票を実施し、2月14日から3月3日の期間に作品タイトルと#OscarsFanFavoriteを付けてツイートすると、お気に入りの作品に投票できるという。ノミネート選外の作品でも可能。(参考:https://oscarsfanfavorite.com/)
4. インディペンデント映画不遇の時代
結果的に『ドライブ・マイ・カー』躍進の煽りを受けたのは、アカデミー賞候補の定席だった良質なインディペンデント映画たちだ。作品賞・監督賞受賞監督であるギレルモ・デル・トロの新作『ナイトメア・アリー』や、脚本賞の常連ウェス・アンダーソン監督の『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』、『ジョーカー』(2018年)で主演男優賞を受賞したホアキン・フェニックスを主演に迎えた『カモン カモン』(マイク・ミルズ監督)などは、前評判で期待されていたほどノミネーションを得ていない。監督賞や脚本賞(脚色賞)はこれらの映画作家の定位置だったが、作家性の強いインディペンデント映画と外国語映画を嗜好する層が重なり、1.に挙げたようなインクルージョン対策のロビイングを受けたAMPAS会員が『ドライブ・マイ・カー』に1票を投じたのではないかと考えられる。おもしろいことに、『ナイトメア・アリー』は多くの日本映画の弱点であるプロダクション・バリュー(制作費用対効果)にかかる賞(撮影、衣装、美術)でノミネートされている。
インディペンデント映画の不遇は、パンデミックによって映画館に大人の観客が戻ってきていないことも関係する。各スタジオは、興行成績が奮わない作品の独占劇場公開期間を短縮する配給戦略をとっていて、例えばユニバーサル映画の作品は最短で17日後には有料配信される。逆に、興行成績とは別の指針で作品を捉えるストリーミング事業者は、インディペンデント映画が多く出品されるサンダンス映画祭で競うように作品を購入している。2021年1月のサンダンス映画祭に出品された『コーダ あいのうた』のような作品は、平常時だと数館の上映から全米規模に公開館数を広げていくものだが、Apple TV+がサンダンス史上最高額の15ミリオンドルで購入したことにより、興行収入を度外視しプロモーションすることができ、作品賞ノミネートにまでつなげている。
5. 濱口竜介監督の人間力
そして、最後になるが『ドライブ・マイ・カー』が4部門でノミネートされたもっとも重要な理由は、濱口竜介監督の理知的なインタビューの受け答えがアメリカでも好意的に捉えられていることだと思う。どんな質問にも理論と見解を重ねた自説を交えて返答し、濱口監督作品の観賞後観と似た複雑だが味わい深い印象を残す。これは、アメリカにおけるキャンペーンでのポン・ジュノ監督、『ミナリ』(2020年)のおばあちゃん役で韓国出身女優として初めて助演女優賞を受賞したユン・ヨジョンと同じ流れだ。ポン・ジュノ監督の傍らで通訳をしていた女性通訳者が賞レース終盤に大人気になったが、濱口監督の通訳を務めている増渕愛子さんの的確で明解な通訳も大きく寄与しているはずだ。
『ドライブ・マイ・カー』の躍進は作品自体の評価を超えて、アメリカおよび世界の映画業界と世相が反映されたものだ。3月27日の第94回アカデミー賞授賞式まで、残り約4週間。時流によっても賞レースの形勢は常に変わるため、どんな結果になるのかはまだわからない。
※1. https://www.latimes.com/entertainment/la-et-unmasking-oscar-academy-project-20120219-story.html
※2. https://www.indiewire.com/2022/02/drive-my-car-success-sideshow-criterion-1234698888/
※3. https://editorial.rottentomatoes.com/article/oscar-ballot-2022-printable-academy-awards-ballot-for-your-oscar-pool/
■公開情報
『ドライブ・マイ・カー』
公開中
出演:西島秀俊、三浦透子、霧島れいか、パク・ユリム、ジン・デヨン、ソニア・ユアン、ペリー・ディゾン、アン・フィテ、安部聡子、岡田将生
原作:村上春樹『ドライブ・マイ・カー』(短編小説集『女のいない男たち』所収/文春文庫刊)
監督:濱口竜介
脚本:濱口竜介、大江崇允
音楽:石橋英子
製作:『ドライブ・マイ・カー』製作委員会
製作幹事:カルチュア・エンタテインメント、ビターズ・エンド
制作プロダクション:C&I エンタテインメント
配給:ビターズ・エンド
2021/日本/1.85:1/179分/PG-12
(c)2021 『ドライブ・マイ・カー』製作委員会
公式サイト:dmc.bitters.co.jp