【ネタバレあり】『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』から考えるヒーローの定義

 そんな悪役たちが今回の『ノー・ウェイ・ホーム』でマルチバースを通って再登場を果たした時、そこに生まれるのは再び与えられた戦いの機会ではなく、一度“死”を味わった彼らが別の次元で再びの“生”を受けたことで得られる悔悟の機会にほかならない。映画としては、ピーターが彼らを元の次元に戻したとしたら結局死に至ることを察知し、彼らを文字通り機械的に改心させることを試みるのである。ドクター・オクトパスの改心には成功したものの、ノーマン・オズボーン(ウィレム・デフォー)の内に潜んでいたグリーンゴブリンが現れて計画は失敗。そして自由の女神を舞台にしたクライマックスの戦いへと持ち込まれるのである。

 アメコミ映画で自由の女神が舞台となるといえばどうしても『X-MEN』の1作目を思い出してしまう。数多の映画でシンボリックに登場してきた自由の女神は、『ゴーストバスターズ2』ではそれが善意の象徴として用いられていたわけで、悪を善へと切り替えるための舞台としては格好の場所である。もちろん『スパイダーマン』がニューヨークという地に根付いたものであることを示す役割も果たしているし、キャプテン・アメリカ(クリス・エヴァンス)の盾を持たせるための工事が絶賛施行中というシチュエーションは、この次元がアベンジャーズの存在した世界であることをまざまざと示す、それこそ『猿の惑星』のラストに登場した自由の女神像と同じような世界観の表札としてのニュアンスも与えられているのだろう。

 いずれにせよ、悔悟の機会を与えられた悪役たちに、“どの方向にそれを活かすのか”という選択肢が与えられている点については、スパイダーマンにも同じことが言える。自身の大切な人を失ったことを悔やみ、ヒーローとして歩んでいくことを決意するのがスパイダーマンであり、決して特別な力を得たからヒーローになったわけではない。誰しもが何らかの力を得て活かす機会を得た時、それをどう扱うかでヒーローか悪役か、そのどちらにもなりうるし、それ以外の選択肢も確かに存在している。「大いなる力には、大いなる責任が伴う」という言葉の“力”と“責任”の間には常に“選択”が伴っており、その結果がもたらした苦しさを噛み締めるピーター・パーカーという1人の青年の姿が、この映画のラストで浮き彫りにされる。それはまた、新しい青春譚の始まりなのかもしれない。

■公開情報
『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』
全国公開中
監督:ジョン・ワッツ
脚本:クリス・マッケナ、エリック・ソマーズ
製作:ケヴィン・ファイギ、エイミー・パスカル
出演:トム・ホランド、ゼンデイヤ、ベネディクト・カンバーバッチ、ジョン・ファヴロー、ジェイコブ・バタロン、マリサ・トメイ、アルフレッド・モリーナ、ウィレム・デフォー、ジェイミー・フォックス
配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
原題:Spider-Man: No Way Home
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