『劇場版 呪術廻戦 0』は禪院真希にとっても“解呪”の物語だった 乙骨憂太との相互作用

 現在公開中の『劇場版 呪術廻戦 0』は呪われた青年、乙骨憂太が都立呪術高専に入学し、仲間との出会いや呪詛師・夏油との対決を経て成長する物語。しかし、本作は単なる乙骨の成長譚に留まらず、彼の成長や存在そのものが周囲の人間の成長を促しているのが良い。特に、彼と一番距離が近くなる禪院真希にとって、ある意味本作は彼女自身にかけられた“呪い”を解くまでの前日譚といっても良いだろう。

呪力を持たない女として、禪院に生まれて

 真希はアニメ『呪術廻戦』の第5話後半に初登場した。虎杖悠仁が宿儺のせいで死んだと思われていた際、残された伏黒恵と釘崎野薔薇が沈んでいる様子を意図せず茶化してしまった真希。少し口調が荒々しいが、本当に同級生を亡くしたことを知り申し訳なさそうにする。そこから伏黒、そして特に釘崎との絡みから彼女が頼り甲斐のある姉御肌キャラであることが見てとれた。劇場版で乙骨を鍛えていたように、伏黒の近接戦の相手になるなど面倒見が良いのが彼女だ。それは彼女が根っからの“お姉ちゃん”だからだろう。

 真希の双子の妹・真依との確執は、主に京都姉妹校交流会編にて描かれる。真希はまず、京都生の三輪と一対一で戦い、見事圧勝。事前に真依から弱いと伝えられていたのに反し、三輪にしてみれば“無茶苦茶強かった”真希。特に呪力がないからこそ、もともと呪力の込められた呪具を扱うことに長けている彼女の戦闘スタイルは、障害物の多い森でもなんなく大刀を振り回せるほどの腕前。劇場版でも薙刀状の呪具を使うのが印象的で、里香の呪力を刀に込めて戦う乙骨に、立ち振る舞いなどを実戦的に叩き込ませた。

 そして真依との一騎打ちでは、天与呪縛のフィジカルギフテッドを利用して素早く弾丸を避けていく。二人は御三家と呼ばれるエリート呪術師の家系のひとつ、禪院家で生まれた。御三家といえば他は五条悟がワンオペ状態の五条家、そして京都姉妹校編で(そして劇場版でも)登場した加茂憲紀の加茂家がある。それぞれが古い歴史を持つ家系だからこそ、子供は相伝の術式を引き継いでいることが望まれていた。そして男尊女卑も共通してひどく、特に禪院家はその気が強い。「禪院家に非ずんば呪術師に非ず 呪術師に非ずんば人に非ず」。相伝の術式もなければ、呪力さえない。呪いをも視認できない真希は禪院家の教えでいえば「人」ではなかったのである。雑用ばかりを押し付けられ、蔑まされてきた彼女は高校生になるタイミングで「次期当主になる」と啖呵を切って高専に入学した。そしてその後、間も無くして転入していた乙骨と出会うのであった。

乙骨を成長させ、乙骨に成長させられる

 原作『0巻』、そして劇場版で描かれる乙骨と真希の関係性の変化は非常に興味深い。もともと、真希は最初から乙骨のことが気に入らなかった。

「“善人です”ってセルフプロデュースが顔に出てるぞ、気持ち悪ィ。なんで守られてるくせに被害者ヅラなんだよ。ずっと受け身で生きてきたんだろ。なんの目的もなくやってくるほど、呪術高専は甘くないぞ」

 出会い頭早々、真希が乙骨に放った言葉だ。この時、ひたすら彼女の辛辣な言葉を乙骨は冷や汗をかいて受けている。本人も認めているようにそれが、“図星”だったからだ。一方、真希は真希で、先述の通り呪力が欲しくても手に入らず、そのせいで落伍者として苦い経験をしてきたという背景がある。能動的に自分の立ち位置をどうにかしようと必死に動いてきた彼女に対し、乙骨は完全に真逆。その事実が余計、彼女を苛立たせたに違いない。この時の彼女は、パンダ曰く「少々他人を理解した気になるところがある」と、アニメ版(2年生)の時よりも幾分か精神的に幼い部分も垣間見えた。では、そこからどのようにして皆に頼られる姐御キャラに成長できたのか。そこには、乙骨が彼女に与えた“自信”が大きく関わっていると感じる。

 そもそも、真希こそが最初に乙骨を奮い立たせた人物である。小学校の呪霊に飲み込まれた際、おろおろする乙骨の胸ぐらをつかみ、こう言った。

「何がしたい!! 何が欲しい!! 何を叶えたい!!」
「呪いを祓って祓って祓いまくれ!! 自信も他人もその後からついてくんだよ!!」

 この言葉は、消極的で受け身だった乙骨というキャラクターに意志をもたせただけでなく、彼が自身の存在や生を肯定できるようになるための手段を指し示しているのだ。だからこそ、後に乙骨は真希を「恩人」と呼んだのではないだろうか。夏油戦でも、彼が叫んだ「僕が僕を生きてていいって思えるように」という自己肯定の考えが根付いたのも、この時の真希の一言があったからのように思える。つまり、彼女が“乙骨が彼自身にかけた呪い”を解いたと言っても過言ではないのだ。

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