朝ドラにおける“太陽と月”、『カムカムエヴリバディ』はどう描く?

「暗闇でしか見えぬものがある」
「暗闇でしか聴こえぬ歌がある」

 「安子編」から符丁のようにたびたび登場する映画スター・桃山剣之介(尾上菊之助)の決め台詞に“共鳴”して勇気が芽生え、錠一郎(オダギリジョー)は「関西ジャズトランペッターニューセッション」で見事優勝を決めた。『カムカムエヴリバディ』(NHK総合)第12週「1963-1964」では、るい(深津絵里)の恋人・錠一郎の人生にスポットが当たった。

 ジャズ界で一目置かれるラジオパーソナリティーの磯村吟(浜村淳)は、錠一郎のプレイスタイルを「トミー北沢(早乙女太一)が太陽ならば、大月錠一郎はまさに月」「闇夜に浮かぶお月様のような音」と評した。大きな満月の夜に定一(世良公則)が戦災孤児のジョーに授けた「大月錠一郎」という名前からも、ジョーの存在が「月」をモチーフにしていることは明らかだ。

 朝ドラでは、これまでも「月」と「太陽」の関係性を思わせる人物造形と作劇がたくさん見られた。最もありがちなのは、存在自体に華がある、あるいは生命力とエネルギーに満ち溢れ、「太陽」のようなヒロインと対になる、「月」のような存在の人物がいて、静かにヒロインに影響を与え続けるといった構図だ。「朝ドラヒロイン=太陽」というパブリックイメージをそのままパッケージに持ち込み、ヒロイン自らに「私は、太陽の陽子です」と言わせてしまう『おひさま』では、ヒロイン・陽子(井上真央)の母で、病のために早逝した紘子(原田知世)が月のようにずっと娘を見守っていた。その一作前の『てっぱん』は、ヒロイン・あかり(瀧本美織)という「太陽」が、亡き実母・千春(木南晴夏)と祖母・初音(富司純子)という2つの「月」どうしの確執を解かしていく物語だった。

 ヒロインにとって「あり得たかもしれない、もうひとつの人生」の象徴として“月属性”の人物を配置するパターンも多い。『花子とアン』で、同じ家に生まれながら、はな(吉高由里子)とは対照的にハードモードな人生を送る妹のかよ(黒木華)や、姉妹の結婚相手が入れ替わったことで人生が大きく分かれた『あさが来た』のあさ(波瑠)とはつ(宮崎あおい)なども、「太陽」と「月」を思わせた。

 「朝ドラヒロイン=太陽」という、それまでのステレオタイプに抗うかのように登場した、“月属性”でネガティブ思考なヒロイン、和田喜代美(貫地谷しほり)は実にエポックメイキングな存在だった。今作と同じく藤本有紀脚本による『ちりとてちん』のヒロイン、ビーコ(喜代美のあだ名)は、人気者のエーコこと和田清海(佐藤めぐみ)の放つ圧倒的な「光」を前に劣等感をこじらせるが、落語に出会い「どーんと人生のど真ん中」を歩く道を見つける。入れ替わるように不運に見舞われ心を閉ざしていくエーコとの「月と太陽の逆転」も劇的だった。

 「月と太陽の逆転」といえば、『あまちゃん』のアキ(のん)とユイ(橋本愛)も記憶に残る。物語序盤の「地味で暗くて向上心も協調性も存在感も個性も華もないパッとしない」と評されるアキのキャラクターに、ビーコを思い出した朝ドラファンは少なくないだろう。そんなアキと、持って生まれたアイドル性をキラキラと発していたユイの人生が交差し、やがて反転していく様が実にドラマチックだった。

 『おちょやん』の千代(杉咲花)も「月のヒロイン」だ。その姓「竹井」に現れるように、「かぐや姫」「月」が明らかにモチーフとして掲げられている。幼き日に亡き母から受け取った愛情を胸に抱いて、艱難辛苦を乗り越える千代が「明日もきっと晴れやな」とつぶやきながら、いつも見上げるのは月。月は「愛」の象徴でもあった。やがて「お月さんみたいな女優」と評される役者になり、末は「大阪のお母ちゃん」になり、月のように柔らかな愛情で世の人をそっと照らし、最後まで「月のヒロイン」として生き抜いた。

 『カムカムエヴリバディ』の登場人物たちはどうだろうか。序盤の、あんこが大好きで、笑顔で周りの皆を明るくしてしまう、娘時代の安子(上白石萌音)。そしてその夫となる、理想に燃えた気高き若者、稔(松村北斗)。2人ともに「太陽」のように思える。しかし、戦争が安子と稔を引き裂き、やがて安子とるい(深津絵里)までも引き裂く。「このうえなく幸せな女の子」だった安子が、最愛の娘から決別を言い渡され、アメリカへ渡り、今もきっと遠い異国の地でるいを思い続けている。終盤から“退場”に至るころの安子は、「月」に変わったと言えるかもしれない。

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