原作者・久住昌之が振り返る『孤独のグルメ』シリーズ 『ふらっとQUSUMI』誕生秘話も
2021年7月〜9月に放送された『Season9』と、2019年・2020年の大晦日のスペシャル版2作を収録したBlu-ray BOX&DVD BOXが、12月15日に発売になる。そして大晦日には、今年もスペシャル版が放送される。
年末の風物詩としてすっかり定着し、日本発のマンガ&ドラマのコンテンツとして海外でも人気を集めている『孤独のグルメ』。扶桑社のPANJAというニッチな雑誌で連載が始まり、テレ東深夜というニッチな枠でドラマ化されたこの作品が、世界に知れわたるコンテンツとなり、人気を保ち続けているのはなぜなのか。というか、そのことを、生み出した本人はどう捉えているのか。などなど、原作の久住昌之に聞いた。(兵庫慎司)
「今回で終わりでもいい」っていう気持ちで、いつも作っている
ーー2021年、『孤独のグルメ』も『Season9』となりました。
久住昌之(以下、久住):いや、もう毎回、「これで終わりかな」って思って、やっていますよ。それが約10年になっちゃったのは、びっくりですけどね。今回は、なんと言っても、コロナは大きいですね。スタッフもみんな、気持ちが違ったんじゃないですかね。僕も「どうするんだろう」って感じだったんですけど、松重(豊)さんが、「こういう時だからこそ、注意しながら、やろう」という姿勢だったので。やっぱり、松重さんあっての『孤独のグルメ』ですからね。
ーー最初は、コロナ禍だし、難しいかもと?
久住:思いましたけど、もっと難しいのが飲食店ですからね。やっぱり、応援したい、っていうのは、ありましたよね。飲食店ばっかり、ずいぶんいじめられてるな、って思ったし。満員電車にみんな乗っているのに、ひとりで黙って食べていて、何がいけないのかな、っていう。
ーーそう、だから、元々コロナ禍向けのコンテンツではあったんですよね。
久住:(笑)。
ーー五郎さん、ひとりだし、お酒も飲まないし。
久住:おかげでいっぱいインタビューを受けましたね。「ひとりで食べることを、どうやって楽しんだらいいんですか?」って。まあ、そういう時代に合ってたかもしれないですね。
ーー今でも久住さんが「これで最後かな」と思う、というのは、なんなんでしょうね。
久住:うーん、本当に、「今回で終わりかな」というか、「今回で終わりでもいい」っていう気持ちで、いつも作っているので。だって、自分も年齢が年齢だし、松重さんともよく言ってるけど、だんだん食が細くなるし。年齢制限はあるんじゃないですかね、やっぱり。僕、この原作を最初に書いたのは、30代。もう63歳ですからね。30代の時に、今のような状況なんて、夢にも思わないし。特に、3年前に、監督の溝口(憲司)さんが亡くなった時は、さすがにもう終わりかな、っていう気持ちもあったんだけど。でも、スタッフが育っていたっていうか。それで、松重さんがひっぱっている感じですよね、そこからは。
ーー作画の谷口ジローさんも、2017年に亡くなりました。
久住:最初に亡くなったのは、初代ナレーターの柏木厚史さんだしね(2014年)。俺がいちばん年上になっちゃった。でもまあ、よく続いたと思いますよ。
ーーでも、海外でも人気のコンテンツです。
久住:それはもう、本当に意外でしたよね。
ーーただ、作画の谷口ジローさんは、セリフが横文字になってもいいように、吹き出しを丸く描いていた、と聞いたんですが。
久住:それは、1巻を出した時は、まさか『孤独のグルメ』が翻訳されると思っていなかったから。縦長の吹き出しの中にちーさい文字で横書きのフランス語が入っていて、これはまずいなって、次から丸にしたんですね。その頃、海外で、『ONE PIECE』とかが翻訳されるようになって、それでマンガ家がこぞって吹き出しを丸にしたりとか、レイヤーを分けたりとかするようになったんですね。そういう意味では、『孤独のグルメ』の翻訳は、早かったですね。谷口さんがフランスで有名だったこともあるけど。10カ国で出版されて、ポーランドで出てるとか、びっくりですよね。だけど、英語にはまだなっていない(笑)。そういえば、フランス人の編集者が「あいつら(英・米)、食い物がダメだから」って吐き捨てるように言ってました(笑)。
ーードラマもアジア各国で人気で、街に出ると大変なことになる、という話を、松重さんがラジオでされていたのを聴きました。
久住:韓国は2018年に、海外ドラマの賞をもらって。その頃は本当に松重さん、街を歩けない感じでした。釜山でもソウルでも、撮影をしてると、人が集まっちゃって。僕も、台湾でものすごく声をかけられました。駅の改札の人に声をかけられたのはびっくりしました、「クスミサン!」って(笑)。