夢見られたヒロイン、アニャ・テイラー=ジョイの特異性 第1期の総決算となったサンディ役

夢見られたヒロイン

『クイーンズ・ギャンビット』Netflixにて独占配信中

 子供を脅かすために『ウィッチ』のヒロインが、あえて自らを「悪魔と契約した魔女」と名乗り、迫ってくるシーンがある。このときのアニャ・テイラー=ジョイがポーカーフェイスで披露する演技が素晴らしい。このポーカーフェイスの演技は、後年『クイーンズ・ギャンビット』のチェスの対戦シーンでも大いに発揮される。ベス・ハーモンが相手の表情をポーカーフェイスで覗き込むときの両手の甲に顎を乗せるあの独特なポージングは、この天才ヒロインの決めポーズとなっている。また、オリヴィア・クックと共演した『サラブレッド』(コリー・フィンリー監督/2017年)では、相手が内面に踏み込んでくることを許さない、挑発の入り混じった緊迫の初対面のシーンで、このポーカーフェイスが画面を支配していく。興味深いのは、対面する相手との演技の交感、そして関係性を適確に描いた演出の効果によって、アニャ・テイラー=ジョイのポーカーフェイスは、彼女の無表情の瞳の奥で揺れ動く不安や怒りをしっかりと見る者に感じさせてくれるところだ。

『クイーンズ・ギャンビット』Netflixにて独占配信中

 アニャ・テイラー=ジョイのポーカーフェイスの演技の裏には、その細い身体に比例するかのように不安定な神経が張り巡らされている。『クイーンズ・ギャンビット』のベス・ハーモンが劇薬やアルコールに依存していたように。ベス・ハーモンがもっとも神経を擦り減らしていた時期にしていた派手なアイメイクにも、そのことはよく表されている。その意味で、孤児院の用務員から教わった「勝負のマナー」は、ベス・ハーモンの「人生のマナー」として、壊れやすい彼女とこの世界をつなぎ止める基盤、拠り所になっていた。『クイーンズ・ギャンビット』で、「16歳までに世界チャンピオンになりたい」と語るロシアの少年と対戦するシーンは示唆的だ。ベス・ハーモンはこの幼い強敵に勝利するが、「(あなたがこれまでの対戦相手で)最強だった」と本心の言葉を投げかける。と同時に、世界チャンピオンの目標を達成したあとにも、長い人生が続いていくということをアドバイスする。この少年とのエピソードが感動的なのは、このやり取りが、頂点に立ったベス・ハーモンだけが分かるのであろう、彼女と世界とをギリギリの神経でつなぎ止める、他者への思いに溢れた「マナー」として示されているところだ。『スプリット』(2016年)と『ミスター・ガラス』(2019年)の連作シリーズで、アニャ・テイラー=ジョイを起用したM・ナイト・シャマラン監督は、対談の中で彼女をこう評している。「あなたはまるで露出した生の神経のようです。でもそれに頼ってほしくはありません。何であれ、これは才能と言っていいでしょう。そこに技術を持ち込めば、あなたの可能性は無限に広がっていきます」(※4)。

『クイーンズ・ギャンビット』Netflixにて独占配信中

 『ラストナイト・イン・ソーホー』でハロウィンパーティーが開催されるクラブの看板には「インフェルノ(地獄)」の文字が刻まれている。ここで、これまでの60年代ポップミュージックから飛躍して、唐突にポスト・パンクバンド、スージー・アンド・ザ・バンシーズの「ハッピー・ハウス」が流れることに戦慄する。「こんなにいいところ他にない。ここはあたしのハッピィ・ハウス」。岡崎京子の傑作漫画『ハッピィ・ハウス』(主婦と生活社)のインスピレーション元にもなったこの曲で、エロイーズ/サンディは狂ったように踊る。ソーホーという町の「囚われの女」による、皮肉と自虐を込めた、やぶれかぶれの抵抗のダンス。このダンスは、『クイーンズ・ギャンビット』で酒浸りの生活に陥ったベス・ハーモンが、一人自宅でテレビから流れるショッキング・ブルーの「ヴィーナス」に踊り狂っていたイメージをどこか想起させる。ただ、そのときよりもずっとプリミティヴで呪術的に響く「ハッピー・ハウス」のリズムの音霊が、サンディの鼓動の響きと切実に共鳴していく。この狂乱のダンスシーンには、亡霊がドクドクと脈を打ち始める生の瞬間が剥き出しの形で露出している。「ここはハッピー・ハウス。地獄なんてない」。

 俳優を志すことを両親に説得するため、5ページに渡るレポートを書いて家を飛び出したアニャ・テイラー=ジョイ。『ラストナイト・イン・ソーホー』には、血に染まったドレスを纏うことで初めて自らの居場所(=映画という幻影)を見つけたアニャ・テイラー=ジョイの第1期に、最上のオマージュが捧げられている。エドガー・ライトは、彼女のキャリアにおける最初のピークを総決算する。『ラストナイト・イン・ソーホー』は、アニャ・テイラー=ジョイによる「我、映画を発見せり」が高らかに宣言された傑作なのだ。

参考記事

※1エドガー・ライトによる『ラストナイト・イン・ソーホー』にインスピレーションを与えた25作品 Indiewire「Last Night in Soho Edgar Wright Films Inspiration」
※2 Vogue「Queen’s Gambit costume designer reveals the hidden meanings behind Anya Taylor-Joy’s winning on-screen style」
※3 The Gurdian「Anya Taylor-Joy interview Queens Gambit Last Night Soho Faces of 2020」
※4 Interview Magazine「The Ingénue: Anya Taylor-Joy

■公開情報
『ラストナイト・イン・ソーホー』
TOHOシネマズ 日比谷、渋谷シネクイントほかにて公開中
監督:エドガー・ライト
脚本:エドガー・ライト、クリスティ・ウィルソン=ケアンズ
製作:ティム・ヴィーヴァン、ニラ・パーク
出演:アニャ・テイラー=ジョイ、トーマシン・マッケンジー、マット・スミス、テレンス・スタンプ、マイケル・アジャオほか
配給:パルコ、ユニバーサル映画
2021年/イギリス/カラー/デジタル/英語/原題:Last Night In Soho/R-15
(c)2021 FOCUS FEATURES LLC. ALL RIGHTS RESERVED
公式Twitter:@LNIS_JP
公式Instagram:@LNIS_JP

関連記事