『ボイスII』正義を問う最終回に “白塗り男”久遠京介が流した涙の意味を探る

 『ボイスII 110緊急指令室』(日本テレビ系)が最終回を迎えた。

 「人生は選択の繰り返し」。ことあるごとにそう繰り返してきた久遠(安藤政信)だが、振り返れば彼は、何かを選択したこと・させたことがあっただろうか。「どうせ人間は○○だ」という先入観で相手の選択を先読みし、心の奥でくすぶる憎しみをコントロールする、それが久遠のやり方だった。不特定多数の人間に爆弾のキースイッチを送りつける手口もそう。「誰もが心に憎しみを抱いているはず」「自分だけの罪にならないのであれば、気軽にスイッチを押すはず」、そんな先入観が見える。結果、久遠が想像するより遥かに多くの人間に良心があったわけだが。

 久遠にとって、樋口(唐沢寿明)は読めない相手だった。「憎い相手は殺す」という、久遠にとって当たり前の方程式に当てはまらない男。だから試してみたかったのかもしれない。どれだけ強がろうとも、一皮むけば人間はみな同じはずだと。

 けれど究極の瞬間まで、樋口の行動は久遠の想像を超えてきた。爆発・ビル倒壊によって多くの人々の命を巻き込む、そう提示してなお樋口は引き金を引かず、俺を殺して終わりにしろと拳銃をよこした。生か死か、全か無か、イエスかノーか、究極の選択肢しか持ち合わせていない久遠にとって、樋口は常に第3、第4の答えを示す男だった。だからこそ興味をそそられ、自分の思い通りに動かしてみたいと執着したのかもしれない。

 一方で、人間の醜さやこの世の理不尽を嫌というほど知りながら、憎しみに飲まれず立ち続ける樋口に、惹かれていたのも事実だろう。出生にまつわることで世間の冷たさを知り、母親から受ける愛情と憎悪に振り回され、失ってなおその存在と過去から自由になれない久遠。「俺はお前だ。お前は俺だ」ーーかつて久遠が樋口に言った言葉は、“どれだけ強がろうとも、一度火がつけばお前も俺と同じ”、そうした挑発だと受け取っていた。しかし今振り返れば、“自分も樋口のようになれたのだろうか”、そんな羨望の意も含まれていたのかもしれないと思う。

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