芸術と娯楽に求めるすべてがここに 『カラミティ』が描く、自由に生きることの素晴らしさ
レミ・シャイエ監督の少女の描き方
レミ・シャイエ監督の前作『ロング・ウェイ・ノース』は、前人未到の北極航路に挑む勇敢な少女を、豊かな映像美で描いた作品だった。今作は、舞台をアメリカ中西部の雄大な大自然へと変え、再び少女の冒険譚を瑞々しく描いているが、実に的確な演出力で抑圧を跳ね返すヒロインの姿を活写する。
映画の序盤、彼女は抑圧された存在だ。女の子であるからスカートを履かねばならず、馬車の荷台に乗せられ、雑用と子どもの面倒をやるのが仕事。対して男たちは、旅団の中でも重要な全体の指揮や、馬を操り馬車を走らせる役割を負う。
男たちは、常に馬に乗っているから、女たちに話しかける時は常に見下ろし、マーサたちは常に男を見上げる構図となる。そんなマーサは馬術をマスターしたことで、同じ目線で男子たちと語れるようになっていく。カメラの構図と目線の変化に、彼女が「努力して這い上がる存在」であることが込められている。
しかし、マーサは馬に乗れるようになっても、男たちのように誰かを見下ろすことはない、彼女が小さい子供たちと接する時は、わざわざ馬から降りて、目線を合わせて会話するあたりに、キャラクター造形の見事さが表れている。
ジェンダー規範を考える時に必ずついて回るのが衣服の問題だ。史実のカラミティ・ジェーンは、男装した写真が多く残されているが、シャイエ監督は「彼女はどんな型にもはまらず、服装を変えるのが好きだった」のだと語っている。女がスカートを履くことを強制されるのは古風な規範だが、ズボンだけを履いても「男まさりな女」という別の規範に縛られる。彼女はどちらの規範からも自由だったのだ。本作のマーサも、状況に応じて衣装を次々と変えていく。最初はスカートを履いていたマーサは、父の代わりに馬を引くためにズボンを仕立てる。髪を切り男のような格好になり自由を得た彼女だが、とある「潜入捜査」の時にはドレスを着たりもする。
衣装は彼女の内面を、時に言葉以上に雄弁に語る。彼女は、旅の道中、多くの人と出会い、彼らの衣服の一部、帽子やスカーフや軍服などを譲り受け、身に着ける。まるで、彼らとの出会いが彼女の成長の糧となっているかのように。
『カラミティ』は、自由に生きることの素晴らしさをこの上なく美しく描いた傑作だ。マーサの勇気と行動力は、日本でも多くの観客の心を揺り動かすだろう。
■公開情報
『CALAMITY カラミティ』
9月23日(木)より、新宿バルト9ほか全国順次公開
監督:レミ・シャイエ
出演(日本語吹替版):福山あさき、畠山航輔、松永あかね、木戸衣吹、杉田智和、上田燿司ほか
配給:リスキット
2020年/フランス・デンマーク/フランス語/日本語字幕/日本語吹替え/DCP/カラーCS/82分
(c)2020 Maybe Movies ,Norlum ,2 Minutes ,France 3 Cinéma
公式サイト:https://calamity.info
公式Twitter:@calamity_movie