大豆田とわ子にとって小鳥遊の存在とは 『まめ夫』“三人の元夫”が体現するもの

 さて、これまで3人の元夫のPros&Cons、つまり長所と短所を振り返ってみたが、その比較自体が本ドラマにおける彼らの一つの存在意義ではないだろうか。それぞれに恋をした3人の女性は餃子パーティーで本人たちを目の前に、彼らの短所を糾弾、長所を褒めるなど査定するような立場で描かれた。確かにどんな恋愛でも、付き合う、結婚する相手の長所や短所を比べることは多くの人が経験したはず。それを天秤にかけ、まるで“完璧”な相手を引き当てるまで査定し続けてしまう人もいるのではないだろうか。しかし、元夫3人が体現するように完璧な人はいない。むしろ、その不完全さに基づく居心地の良さを描くうえで、あの性格である必要があったのではないだろうか。そして3人の女性が指摘した粗を、とわ子は一度も彼らに指摘しなかった。元夫たちのキャラクター設定は、そんなとわ子の「めんどくさい」との付き合い方にも関わっているように思える。

 『まめ夫』というドラマにはたくさんの「めんどくさい」が登場する。「網戸が外れるたびにもう一回恋しようと思う」と言う主人公のとわ子。元夫たちをはじめ、「めんどくさい」状況になると人々の言葉を遮断して小鳥のさえずりに変換する。また、急な訪問時に八作がお風呂を沸かせておいてくれたことに感動するとわ子の描写や、彼が自然現象的にモテる男である理由を早良が「めんどくさくないから」と答えるなど、いかに彼女たちが恋愛と向き合う時に「めんどくさい」を排除しようとしているか、そこに重きを置いているかについて考えさせられる。そこでとわ子を通して気づくのは、他者へのめんどくささと、一人でいることへのめんどくささの違いだ。第8話では家に招いた小鳥遊に、とわ子は改めてこう話していた。

「一人で焼肉にも温泉にも行ける、一人で生きていける。でも小さなことかな、小さなことがちょっと疲れるのかな。自分で部屋の電気をつける。自分で選んで音楽をかける。自分でエアコンをつける。小さいことなんですけどね、ちょっとボタンを押すだけのことにちょっと疲れる感じ。そういう時に、あ、意外と私一人で生きるのがめんどくさい方なのかもな、と思います」

 その前にも、とわ子はかごめに対して「一人でいけるけど、〇〇。〇〇の中身はわかりません」と話していたことがある。一方、かごめがとわ子に「めんどくさい気持ちは好きと嫌いの間にあって、どっちかっていうと好きに近いんだよ」と言っていたこともある。その通りで、とわ子が本当に元夫たちを「めんどくさい」と思っていたら、あんな風にいつまでも交友関係にないはずなのだ。めんどくささとの関係や、完璧さが存在しないことを含め、本作はより〇〇の中身のような、恋愛における説明のいかない、わからないものをわからないものとして描くことで我々に寄り添ってくれる。そして、男性陣をどのように自分が捉えるかによって、自身の恋愛観を見つめ直すきっかけにもなっているのだ。

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