『クルエラ』新時代のヴィランが生まれるまで キャリアとともに探るエマ・ストーンの魅力

被誘惑の身振り

 ポスト・コメディエンヌ期を経たエマ・ストーンは新たな領域に進んでいく。決定的な作品が『ヘルプ~心がつなぐストーリー〜』(テイト・テイラー監督/2011年)だ。自分の育った地域における黒人差別に果敢に取材を試みるヒロインが抱える問題意識に対する主体性は、映画におけるエマ・ストーンの身振りの早さと結びついている。エマ・ストーンは人の懐にあっという間に入っていく。編集による省略を介さず、演技の早さのみで相手の間合いに入っていく。エマ・ストーンは、何かに突き動かされるような情熱に駆られるヒロインを演じるとき、圧倒的な輝きをみせる。その情熱的な身振りが、理知的な身振りと決して対立しないところがエマ・ストーンの演技の魅力だ。

 本作は「自分の子供を置いて白人の子供を育てるのはどんな気持ち?」というヒロインの質問から映画がスタートする。その不躾な質問に対して黒人メイド女性が答えることは決してない。自分のコアな感情に触れるようなことは話そうとしない彼女たちに対して、ヒロインは生活に関する周縁のエピソードを聞き出し、その積み重ねによって彼女たちのコアに触れていく。ジャーナリストとして、取材対象に対する誠意を尽くしながら。相手との感情的な間合いを察知する際のエマ・ストーンの演技に、大げさな身振りの変化はない。踏み込めない感情があることを察知したことによる、相手の感情との適切な距離のみを、エマ・ストーンは見事に画面に提示している。

 サム・ライミ版の『スパイダーマン』3部作と違い、ピーター・パーカー(アンドリュー・ガーフィールド)が、グウェン・ステイシー(エマ・ストーン)にあっという間に自身の正体を明かしてしまう『アメイジング・スパイダーマン』(マーク・ウェブ監督/2012年)では、愛の告白と秘密の告白が同時に披露されていた。秘密の告白に対してヒロインはまったく動じることなく、むしろ恋人がスパイダーマンであることにのめり込み、共犯の関係さえ結んでしまう。動物的に魅せられ、理知的に順応していく、この早さ。

『教授のおかしな妄想殺人』(c)2015 GRAVIER PRODUCTIONS, INC.

 同じように、ウディ・アレン監督との『マジック・イン・ムーンライト』(2014年)と『教授のおかしな妄想殺人』(2015年)では、恋人との言い争いの中に、この早さが生まれる。特にホアキン・フェニックスと共演した後者では、相手を誘惑しながら自身が誘惑されるというエマ・ストーンの演技が、物語のサスペンス性やホアキン・フェニックスという稀代の演者の持つ存在の怖さと競い合っていくスリルを放っている。おそらくウディ・アレンは、『マジック・イン・ムーンライト』での、結婚をめぐる言い争いの中に、エマ・ストーンの演技の持つ本質を見出したのだろう。危険な人物だと知りながら、いつの間にか常に教授と行動を共にしているヒロインの身振り=情熱のスピードと映画の省略の技法が完全に一致している。恐怖に引き寄せられる身体とでもいうべきか。『教授のおかしな妄想殺人』は、近年のウディ・アレン作品の中では、安心して見ることのできない、もっとも驚かされる作品に仕上がっている。

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