『珈琲いかがでしょう』が伝えた“人はひとりじゃない” 中村倫也は黒目の大きさも変えられる

「そりゃ、傍から見れば、ど底辺の生活でも、せっかくなら、彩りってものが欲しいじゃないの。どうせなら、小粋にポップに生きたいからね」

 たこ(光石研)が生前残した言葉に隠された、たこの秘密が明かされた『珈琲いかがでしょう』(テレビ東京系)最終話。この作品を通して描かれたのは月並みな言葉に集約してしまうが“人はひとりじゃない”、そして“人が人を大切に想う気持ちは伝播し巡り巡る”ということなのではないだろうか。

 黒くてドロドロしたものに飲み込まれてしまった三代目組長・ぼっちゃん(宮世琉弥)はずっと自分はひとりで寂しかった、自分には人から愛される才能がないと訴えるが、実際には父親である二代目(内田朝陽)が常に気にかけていたのはぼっちゃんのことであり、その裏には正に“命がけの愛情”があったように。“愛情”とは何もわかりやすく目に見える形あるものばかりではない。夕張(鶴見辰吾)のように、二代目の遺志も三代目の慢性的な満たされなさも、青山(中村倫也)がいなくなった真相も知りながらも、“最適なタイミング”が来るまで真実はそっと自分の胸に閉まったまま近くで見守り続けるのもまた愛だ。

 “親に捨てられた者同士”ずっと一緒に暮らしていたのに急に青山に置いていかれたぺい(磯村勇斗)にとっては、強い愛ゆえにどうにか彼を憎み続けることでしかその面影を自分の中から追い払えなかったように。これもまた“愛情”の表出の仕方のひとつである。

 ホームレスのたこ(光石研)には実は妻・幸子(市毛良枝)と彼女との間にもうけた息子がいたばかりでなく、そもそもたこに珈琲の淹れ方を教えたのは幸子だったこともわかる。親族に勘当されてでも一緒になることを選んだ2人だったが、元々病弱だった幸子の体調が悪化し、その治療費のためにたこは彼女の両親に頭を下げ、そして自分は何も言わず彼女の前から姿を消す。これもまたたこから幸子と息子への“愛情”ゆえのことだ。

 幸子の唯一の楽しみだったたこを想って淹れる珈琲が、たとえ離れ離れになった後もたこの周囲に人を常に呼び寄せ、彩を与え続け、そして青山との出会いをもたらし、たこの遺骨を自分の元に届けさせ、たこの夢を叶えさせた。何なら、元々は幸子の夢だった「移動珈琲販売店を営む」という夢までもたこから青山に受け継がれ実現している、この壮大で果てしない“人が人を慈しむ気持ちの伝播”に静かな感動を覚えると同時に気が遠くなりそうにもなる。まるで珈琲を淹れる際に静かに螺旋状に湯を落としていくようなその途切れることのないサイクルに息を呑むようなうっとりとした美しさと落ち着きと恍惚感を覚えるような感覚だ。そんな奇跡を、青山、ぺい、垣根さん(夏帆)の3人で共に眺められている今まさにここにある“奇跡”にも、各々に色々なことがあった過去から現在地点までがピタリと繋がり落ち着くべきところに収まっていくさまを目の当たりにさせられた。

 たこの遺骨を砕いた破片を入れた珈琲を幸子が飲んで言った「これでたこさんは私の一部です」に、青山は涙目ながらもしっかりと笑顔を見せたが、この瞬間に青山も自身の壮絶な過去と今の自分を改めて飲み込み引き受けたのではないだろうか。

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