メリッサ・マッカーシーがスーパーヒーローに 『サンダーフォース』は女性の価値観を刷新

 『ゴーストバスターズ』(2016年)には、多くの男性たちからと見られる、凄まじい誹謗中傷がインターネット上で寄せられ、とくにキャストには、女性蔑視、人種差別的な暴言が、SNSを介してぶつけられることになった。女性の活躍や社会での地位向上を面白く思っていない、ある種の男性にとって、オリジナル版『ゴーストバスターズ』(1984年)のような、子ども時代の思い出となっている象徴的な作品が、女性たちを主役に作り変えられることは、“聖域”を汚されたような心境だったのかもしれない。

 そして誹謗者たちが『ゴーストバスターズ』(2016年)を批判する根拠の一つとなっていたのが、「女性のコメディアンは面白くない」という先入観だった。これが一定の説得力を持ってしまうのは、コメディーの分野で女性が男性ほどには活躍できていなかった歴史が存在するからである。しかし少し深く考えてみれば、それはそもそもコメディーの世界でも、他の職業同様に女性が閉め出されてきた経緯があるはずだということに思い至るはずである。そして、“くだらないことをやって盛り上がる”という文化が、「女の子はそういうことをするもんじゃない」と、かなり長い間女性たちから剥奪されてきた経緯も存在するのだ。これによって、どれだけ多くの女性のユーモアが限定的な範囲に抑え付けられていたかは、計り知れないところがある。

 このような現実の女性たちが直面してきた現実の境遇というのは、マーベル・スタジオ製作の『キャプテン・マーベル』(2019年)の主人公が、ヒーローのなかでも最強といえるパワーを持ちながら、その才能が開花するまで様々な制約に縛られていたことを示す描写によって暗示されている。そして『キャプテン・マーベル』自体も、インターネット上で女性差別主義者らによって、評価サイトで低い点数になるよう組織的ないやがらせが行われるなど、不遇の目に遭った作品なのである。

 本作『サンダーフォース 〜正義のスーパーヒロインズ〜』の主人公たちもまた、物語のふざけた脱線を繰り返しながらも、自分の道を信じて進み、能力を最大限に発揮することで、女性の生き方を少しでも明るく照らそうとしているように感じられる。彼女たちのコスチュームは、ほぼ露出もなくデザインは地味で、長い間洗濯をしていないせいで、異様な臭気が漂っている。そんな女性ヒーロー像は、これまで求められてきた、男性から見た女性の理想像とは大きく異なるはずだ。しかし、だからこそ彼女たちは、自分自身が主体となる新時代のヒーローとして機能するのである。

 メリッサ・マッカーシー、エイミー・シューマー、オークワフィナ、アリ・ウォンなど、アメリカの新しい世代のコメディー俳優や、女性のコメディアンたちは、従来のような男女間の文化的な垣根を越えて、下品なネタだったり、くだらないネタや振る舞いを次々に繰り出すことができる。彼女たちのような存在こそ、新しい世代のヒーローだということを、本作は語っているように思えるのである。そしてもちろん、そのようなタイプでなくとも、自分の力をまっすぐに発揮することもできる。本作では、オクタヴィア・スペンサーがその役割を担ってみせる。

 ときにお下劣で、ときに真面目に……本作は女性の生き方や価値観を、時代のなかで刷新していく映画である。サンダーフォースが悪を倒すように、本作のような作品が増えていくことが、世の中の本当の悪の居場所を狭くしていくのだ。そして、誰かの人生が彼女たちによって救われるのかもしれない。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト

■配信情報
『サンダーフォース ~正義のスーパーヒロインズ~』
Netflixにて配信中

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