製作者にとっては“制約”も? 相次ぐ『週刊少年ジャンプ』作品アニメ化について考える

 また、先日は実際に井上雄彦原作の『SLAM DUNK』の劇場アニメ製作が決定されるという唐突な報があったように、『週刊少年ジャンプ』原作作品にまつわる企画が、今後加速することが考えられる。しかし、『鬼滅の刃』のヒット以前から、ジャンプ作品は安定的な人気があり、すでに飽和状態になっているのも確かだ。現在、そして近年映像化されたり、進行している作品には、思いつくままに書いていっても、『銀魂』『ハイキュー!!』『僕のヒーローアカデミア』『Dr.STONE』『HUNTER×HUNTER』『約束のネバーランド』『食戟のソーマ』『ONE PIECE』『DRAGON BALL』『キャプテン翼』『ジョジョの奇妙な冒険』『ダイの大冒険』『シティーハンター』『るろうに剣心』『幽遊白書』などが挙げられる。

 なぜ、こんなにも新旧ジャンプ作品の映像化が絶えないのか。それは、『週刊少年ジャンプ』が少年誌のなかで現在も圧倒的な部数を誇っている事実があるからだ。2020年度、少年誌で2位、3位の部数となっている『週刊少年マガジン』『月刊コロコロコミック』を、ダブルスコア以上の成績で圧倒し、一強状態となっているのである。その売り上げを支えるのは、徹底した人気投票システムだ。読者の送るアンケートハガキの集計結果を重視することで、他の少年誌に比べ大勢の好みが反映され、連載作品を描く作家たちは順位を上げるために試行錯誤を続ける。そして、ダメとなったらすぐに新連載と入れ替わる。

 アンケートで人気を集めるため、作品の方向性を変えるほどのテコ入れをするケースも多い。多くの場合、読者が求めるのは“バトル展開”である。当初はギャグや人情ものとして始まったはずの漫画が、途中から趣旨を変えて戦いを始める内容になる例は少なくない。しかし、それはできるだけ避けたいと思っている漫画家が多いということが、やはりジャンプ作品の『バクマン。』で言及されている。

 このようなシステムによって、ジャンプ作品は結果として、あるカラーに染め上げられる場合が少なくない。『鬼滅の刃』にしろ『呪術廻戦』にしろ、ジャンプで生き残るための工夫として、過去の成功した事例を踏襲する内容になっている部分が散見される。ジャンプ原作の作品を鑑賞すると、そういう“ジャンプコード”ともいえるような要素が存在していることに気づく。

 私が“ジャンプコード”の大きな特徴として指摘したいのは、“部活感”である。『キャプテン翼』や『テニスの王子様』、『ハイキュー!!』のように、実際に学校の部活動などを舞台にしていた作品はもちろん、多くの作品で部活動を連想させるようなコミュニティが描かれ、指導者や先輩、後輩たちとともに修行して強くなりながら、強敵と戦っていく。その最中で、尊敬する先輩が破れ去っていく姿を見るというショックを経験したり、強敵に勝利する度にさらに強い存在が立ち塞がることになる。そして、戦いの合間に小休止としてギャグシーンを挟むのも常套手段だ。もちろん、これらの手法はジャンプ以外の雑誌の連載作品にもいえることだが、まさにジャンプの表現はその総本山ともいえるものだ。

 つまり、『週刊少年ジャンプ』のコアな読者として想定されている年代が経験する、学校という閉じられた場所と、その外に触れる機会である部活動という世界観が、様々な設定の上に乗せられているのである。まさに、自分の体験する“リアル”に近い感覚と、そこで描かれる勝利の快感が味わえることで、多くの読者を惹きつけていたというのが、多くのジャンプ作品に共通する要素といえる。もともと、ジャンプには「友情」「努力」「勝利」というキャッチフレーズが掲げられているが、それを一言に総合したものが“部活感”といえるのではないか。

 そんなジャンプ作品が、幅広い世代に読まれ、愛されているというのは、日本社会そのものが、ある意味で部活動の延長のようなものであるからかもしれない。例えばアメリカでは、従業員が同じ企業に長年務めるケースは、いまだに“終身雇用”(いまそれが保証されているかは別として)の考え方が根強い日本に比べると、少ないといえる。年功序列や集団の中での協調性などが強く求められ、全員が同じ方向に向くことを求められることが多い日本の企業は、体育会系の部活動に近いものがある。だからこそ、企業は学生時代の部活動経験を重視する傾向があるのだろう。

 かつて、少年漫画には、本宮ひろ志の『男一匹ガキ大将』に代表されるように、バンカラで一匹狼のかっこよさに憧れる風潮があった。その後描かれた『リングにかけろ』や『魁!!男塾』などは、そんなバンカラなセンスを踏襲しながらも、集団に帰属する主人公に憧れるという方向にシフトしているように見える。これは、日本社会の一般的な価値観に変化が起こったことを示しているように思えるのだ。

 その中にあって、『HUNTER×HUNTER』や『DEATH NOTE』、『約束のネバーランド』などの作品は、そのような制約から、かなりの部分で逃れ得ているということも指摘しておきたい。これらの作品は、作者が物語に対して強いこだわりや能動性があることを示しているといえよう。

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