メリル・ストリープのカリスマ的パフォーマンスも 『ザ・プロム』が示す社会の変わるべき方向性

 圧巻なのは、ブロードウェイの自己顕示欲の強い大物俳優を演じたメリル・ストリープのカリスマ的なパフォーマンスだ。人助けのためにインディアナにまでやってきたのに自分ばかりが目立とうとしてしまうナンバー「It's Not About Me」は、舞台版にもある曲が、あたかもストリープのために存在するかのように、大女優の迫力で見事に自分のものにしている。

 また、同性愛を不道徳だとする保守的な人々に対して、聖書を引き合いに出して矛盾を突きつける「Love Thy Neighbor」を、鮮烈な歌唱で聴かせるアンドリュー・ラネルズのパフォーマンスも素晴らしい。

 じつは、このプロットには基になった出来事が存在する。同じようにプロムで同性カップルの参加をうったえるミシシッピ州の高校生に触発された、ロックバンドのグリーン・デイや、アイドルグループのイン・シンクのメンバーだったランス・バスらが、誰もが参加できるプロム開催の費用を寄付したのだ。もちろん彼らは、本作のブロードウェイ俳優たちのような不純な動機から協力したのではないだろうが。

 しかし、なぜわざわざ本作のエマは、好奇の目に晒されることが分かっていながら、わざわざプロムに参加しようとするのだろうか。自分たちを受け入れないようなイベントなど、最初から行かなければよいのではないか。そこには舞台版の戯曲、本作の脚本において、二つの主張が託されていると考えられる。

 一つは、マイノリティであるLGBTQに属する人々みんなが、必ずしも伝統的な考えや行事を嫌っているわけではないということだ。結婚式に憧れを持って周囲の人たちに祝福されたいと願っている人も多いし、プロムで輝きたいという夢を持った人も当然いる。LGBTQとは、単に性的指向を示すものでしかなく、考え方やセンスはマジョリティがそうであるように、様々に分かれている。「ただ、みんなと一緒にプロムを楽しみたいだけ」と語るエマの姿は、そんな当たり前の事実を示してくれている。

 そしてもう一つは、どんなイベントあれ、それが公的なものであるのならば、マイノリティを締め出すようなことがあってはならないということだ。固定観念や先入観を取り払い、あらゆる生徒たちが負い目を感じずにプロムを楽しめるようになり、新しい価値観がどんどん流入するのならば、この行事は時代に合ったものとして、より多くの人々に支持されるものに生まれ変わるのではないだろうか。

 保守性が指摘されるプロムは、その存在自体が悪いわけではないはずだ。全米の高校で一生に一度、自分たちが主役のキラキラしたダンスパーティーを体験し、ロマンスを味わいたいと願う学生たちのロマンティックな夢を叶えられるのは素晴らしいことだ。そこに過去から連綿と続いてきた偏見や、特権意識からくる排他性が含まれるところに、問題が生まれる元凶があるのではないか。

 『ザ・プロム』は、このように、あらゆる性的指向の人々が楽しめる、新しいプロム像を提供することで、従来の固定観念やイメージを吹き飛ばし、またプロムを通して、われわれの社会がどう変わるべきなのかを示した映画になっているといえるだろう。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト

■配信・公開情報
Netflix映画『ザ・プロム』
一部劇場にて公開中
Netflixにて独占配信中
監督:ライアン・マーフィー
出演:メリル・ストリープ、ニコール・キッドマン、ジェームズ・コーデン、キーガン=マイケル・キー、アンドリュー・ラネルズ、ケリー・ワシントン、アリアナ・デボース、ジョー・エレン・ペルマン

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