“昭和おじさん社会”は終わる!? 『半沢直樹』が描いた古い男性像と新しい女性像を振り返る
圧巻だった。ソーシャルディスタンスが提唱される中、『半沢直樹』(TBS系)では役者たちが至近距離で顔を突き合わせ、最後の最後まで異常と言えるほどの熱量をぶつけ合っていた。そんなドラマがこのコロナ禍の中、無事に完結できたことを讃えたい。その熱量で世間を沸かせ、「サラリーマン時代劇」とも「サラリーマン歌舞伎」とも言われた本作。たしかに香川照之(市川中車)、市川猿之助、片岡愛之助、尾上松也という歌舞伎役者がそろった顔見世興行のようになっており、怪演に次ぐ怪演が飛び出した。「やられたらやり返す。倍返しだ!」がモットーの銀行員・半沢直樹(堺雅人)の前に立ちはだかったのは、前作で土下座させた取締役の大和田(香川照之)、大和田の元部下であり半沢を目の敵にしていた伊佐山(市川猿之助)、金融庁の検査官・黒崎(片岡愛之助)。猿之助の「詫びろ詫びろ詫びろ!」も、愛之助のハートマークが入った「直樹」呼びも忘れられないが、やはり最後まで楽しませてくれたのは香川だった。
今回の大和田は「君はもう、おしまいデス(DEATH)」、「死んでも嫌だね!」、「おねしゃす」など、名セリフを連発。前作の伝説の最終回のテンションのまま突っ走った。台本にない若者用語もぶっこんでくる香川の攻めっぷりが素晴らしい。一方で、堺と共に「サァ、サァ、サァ!」と裏切り者を問い詰める歌舞伎しぐさもさすがの迫力。そして、最終回のラスト、会議室で大和田が前作からの経緯をまるっと説明した上で、辞職を決意した半沢を挑発しまくり銀行に残ることを決意させるという、1シーンでやるにはかなり無理めの要求にきっちり応えたのも香川だった。最後に半沢の出した退職願を破り捨て、花吹雪のように撒き散らして「あばよ!」と去る。ここが歌舞伎座なら「澤瀉屋(おもだかや)」と大向うから声をかけたくなるような熱演だった。
対する堺は、香川がアドリブで「おしまいデス」とやっても表情を崩さずに睨みつけ、片岡愛之助に「ファイトまんまんよ!」と迫られても、大きなリアクションをしない。そんなふうに歌舞伎役者たちの見得(みえ)が決まった後にすぐチューニングを現代劇に戻し、芝居をつなげていく対応力がすばらしかった。怪演ラッシュの中、ひとりだけ真面目な顔をキープしているのは、さぞかし大変だったのではなかろうか。しかし、だからこそ視聴者は“まともさ”を貫こうとする半沢に共感できたのだ。後半、半沢は銀行の上層部だけでなく、政治家にまで立ち向かい、最終回では金権政治そのもののような巨悪、与党の箕部幹事長(柄本明)を記者会見の場で糾弾。「(政治家の使命を忘れ私腹を肥やしたことについて)この国で懸命に生きるすべての人に心の底から侘びてください」と箕部に迫り、土下座させて見事に1000倍返しを決めてみせた(そもそも箕部にとって「頭は下げるもの」という軽い位置づけではあるが)。
ちなみに「この国のすべての人に侘びてください」と半沢が訴えるのは、池井戸潤の原作小説にない部分だ。これをビジネスドラマとしてはやりすぎと取るかどうかは評価が分かれるだろうが、個人的には、前政権の疑惑が追及されなくなった現在の硬直した政治状況に憤りを感じているので共感できた。半沢が箕部を「『記憶にない』で済むのは国会答弁だけの話です。そんなばかげた言い訳、一般社会では通用しない」とばっさり切ったのには胸がすく思い。まさに勧善懲悪、正義を貫くヒーローが巨悪を倒すという展開で、ドラマ制作陣のメッセージが込められた場面だったと思う。それは、ラストシーンで半沢が大和田に言われるように「青臭い正義」かもしれないが、現実社会ではそんな正義が通らないからこそ、ドラマでは見たいのだ。
また、前作から最も進化していたポイントは女性描写だ。シーズン1では半沢の妻・花(上戸彩)が原作小説からアレンジされ、常に夫を明るく励ますチアガール的存在に。その変更については「原作と違うし、あんな妻、現実には存在しない」という批判も出た。他には壇蜜演じるホステスや倍賞美津子演じる経営者が登場し、「聖女/悪女」の二元論に陥っているようにも見えたが、今回はその中間にいるリアルな女性像に近づいていた。